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東京地方裁判所 昭和32年(特わ)276号 判決 1965年4月10日

本籍 茨城県常陸太田市島町二、二四七番地

住居 神奈川県藤沢市辻堂七、二八五番地

無職(元株式会社第一相互銀行取締役社長) 堀口貫道

明治二二年二月一二日生

本籍 東京都新宿区横寺町四九番地

住居 右同

会社役員(元同銀行常務取締役) 渡部虎雄

明治三九年一〇月二七日生

本籍 同都中野区東郷町一二番地

住居 同町二一番地

瀬戸物商(元同銀行貸付課長) 前田彦

明治四四年六月二四日生

本籍 茨城県常陸太田市島町二、二四七番地

住居 東京都新宿区矢来町一〇二番地

無職 堀口秀真

大正元年九月八日生

本籍 同都渋谷区豊分町一二番地

住居 同区代々木初台二丁目二四番地

会社役員 阪田誠盛

明治三三年三月二一日生

本籍 東京都文京区湯島一丁目七番地

住居 東京都世田谷区太子堂一一五番地

無職 直江秀次

大正一一年一月六日生

右の者らに対する各商法違反(特別背任)被告事件につき、当裁判所は検察官平井清作出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人堀口貫道を懲役三年に、

被告人渡部虎雄を懲役二年に、

被告人前田彦を懲役一〇月に、

被告人堀口秀真を懲役二年に、

被告人阪田誠盛を懲役一年六月に、

それぞれ処する。

この裁判確定の日から、被告人堀口貫道に対しては四年間、被告人渡部虎雄、同堀口秀真、同阪田誠盛に対してはいずれも三年間、被告人前田彦に対しては一年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人細谷晃一(昭和三三年一〇月二七日付請求書の分、以下同じ)、同高橋秀夫(同年一一月一一日)、同樫村功(同月二一日)、同河野慶一(昭和三六年七月一四日)に支給した分は被告人堀口貫道、同渡部虎雄、同前田彦、同堀口秀真、同阪田誠盛の平等負担、証人高橋秀夫(昭和三五年六月二四日)、同細谷晃一(同年九月一二日)、同篠原良之助(同月二六日)、同竹内清(同日)に支給した分は被告人堀口貫道、同渡部虎雄、同堀口秀真の平等負担、証人細谷晃一(昭和三四年一一月一三日)、同石本省吾(昭和三五年二月一五日)、同板垣清(同年三月一八日)、同橋本泰(同日)に支給した分は被告人堀口貫道、同渡部虎雄、同前田彦、同阪田誠盛の平等負担、証人高山作郎(昭和三六年五月一〇日)、同浜名哲三(同月三〇日)、同押木国治(昭和四〇年一月二七日)に支給した分は被告人堀口秀真の負担とする。

被告人堀口貫道に対する昭和三二年七月一五日付起訴状(同年特(わ)第二五六号)、被告人渡部虎雄、同前田彦に対する昭和三一年一二月一五日付起訴状(同年特(わ)第五八一号)、被告人直江秀次に対する同月二六日付起訴状(同年特(わ)第六〇六号)の公訴事実(スチール工業株式会社関係)については、同被告人らはいずれも無罪。

被告人渡部虎雄に対する昭和三一年一二月二五日付起訴状(同年特(わ)第五九八号)の公訴事実(三光商事株式会社関係)については、同被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

株式会社第一相互銀行の前身である相互貯金株式会社は、明治四四年一一月七日に設立され、一定の会員を募集し積立金をなさしめ金銭の貸付をなすをもってその営業目的としていた。相互貯金株式会社は、大正六年一月一一日商号を相互無尽株式会社と変更すると共に目的も無尽業に変更し、昭和九年一月一日にはその本店を東京都(当時は東京市)千代田区神田神保町二丁目一九番地の三に移した。そして、相互無尽株式会社は相互銀行法の制定に伴い昭和二六年一〇月一六日商号を現在の株式会社第一相互銀行と変更すると共に営業目的も相互銀行業に変更し、昭和三一年四月七日には本店を現在の同町二丁目二一番地に移した。

被告人堀口貫道は、大正一二年一月二五日右相互無尽株式会社の取締役に就任し、同会社が株式会社第一相互銀行になると共に代表取締役社長となって引続き同銀行の経営を主宰していたものである。

被告人渡部虎雄は、昭和二年頃右相互無尽株式会社に入社し、昭和二三年一一月三〇日同会社の取締役に、また同会社が株式会社第一相互銀行になると共に代表取締役に就任し、同被告人らと共に代表取締役に就任した鷲沢登勢雄、黒沢力男の二人が昭和二八年三月二四日、同年八月一七日と相ついで死亡した後は常務取締役となり、被告人堀口貫道と二人して預金、貸付等同銀行の業務一切を統轄担当していたものである。

被告人前田彦は、昭和二四年頃右相互無尽株式会社に入社し、昭和二八年八月一四日株式会社第一相互銀行の貸付課長に就任して貸付に関する事務一般を掌理し、昭和三一年四月六日には同銀行管理第二課長に就任して貸付金の事後管理に関する事務一般を掌理すると共に、被告人阪田誠盛に対する貸付については被告人堀口貫道、同渡部の命を受けて引続きその事務を処理していたものである。

ところで、株式会社第一相互銀行(以下、第一相互銀行と略称する)は、大蔵省銀行局に報告したところによれば、昭和二八年七月一一日現在で資本金一億円、株主勘定一億二、三八二万円、資金量三六億六、二二五万五、八九四円(内無尽掛金三二億五、九一五万三、〇九九円、預金四億三二〇万二、七九五円)、給付金貸出金合計三六億九、六一七万七、五五一円(内無尽給付金二二億三、一七七万八、八六〇円、貸出金一四億六、四三九万八、六九一円)であった。そして、右預金のうち二億一、〇〇〇万円は政府指定預金であり、また貸出金のうち約二億一、七〇〇万円は後に述べる株式会社大晶関係の貸出であったが、その後右政府指定預金が引上げられる一方右株式会社大晶関係の貸出が増大且つ固定して来たため、昭和二九年に入ると第一相互銀行は資金不足を来し資金繰に追われる状態になった。なお、同銀行の資本金は昭和二八年一〇月一日一億五、〇〇〇万円に、昭和二九年一二月一六日二億円にと漸次増加された。

第一、株式会社大晶関係(昭和三二年特(わ)第二七六号、同年七月三〇日付起訴状)

一、本件犯行に至る経緯

被告人堀口秀真は、昭和一五、六年頃小沢専七郎と共に大日本防空食糧株式会社、日本製塩株式会社を設立して小沢専七郎が社長、同被告人が専務となり、瓶罐詰食品の製造販売を始め、戦後は大日本防空食糧株式会社の商号を日本国民食糧株式会社と変更して昭和二三年頃まで営業を続けていた。そして、昭和二四年には二人で東京都千代田区永田町二丁目二九番地に日米通商株式会社を設立して、同被告人が社長となり日用品雑貨の輸入販売を、また同じ頃同所に株式会社ドライブインを設立して、同被告人が社長となり外人ドライバー相手の軽食堂をそれぞれ営むようになった。

ところで、小沢専七郎及び同人や被告人堀口秀真の経営する右諸会社は、常磐無尽株式会社(後の株式会社常磐相互銀行)、株式会社横浜興信銀行、株式会社日本信託銀行等から融資を受けていたが、小沢専七郎において昭和二〇年五月頃前記永田町二丁目所在の二九番の三宅地二、〇二八坪三合二勺並びにその上の建物の所有者である合資会社幸楽会館の持分全部を取得し、これらの土地建物に常磐無尽株式会社のため同月二八日(但し、これは登記日、以下同じ)債務者大日本防空食糧株式会社、債権限度額五〇万円の根抵当権を、昭和二一年七月三一日債務者日本製塩株式会社、債権限度額四五〇万円の根抵当権をそれぞれ設定し、また昭和二四年一月二二日には横浜興信銀行のため債務者日本国民食糧株式会社、債権額二億四、九〇〇万五、〇四一円の抵当権を設定した。そして、同じく右土地上にある株式会社ドライブイン名義の建物一棟に日本信託銀行のため根抵当権を設定した。

また、日米通商株式会社は昭和二四年九月一〇日右二九番の三の宅地に隣接する同所二二番及び二九番の六の宅地六五八坪九合並びにその上の建物三棟の所有権を取得し、昭和二五年九月四日これらの土地建物に日本信託銀行のため根抵当権を設定した。

しかし、昭和二五年に入って、被告人堀口秀真は小沢専七郎と意見の衝突を来し、浜名哲三、富山作郎らと共に小沢専七郎と訣別して神戸市内でマーガレット商会という名称のもとに繊維雑貨食糧品等の輸入販売を営むようになったが、昭和二六年一二月頃これを会社組織にして株式会社大成交易を設立し、同被告人がその代表取締役社長となり、昭和二七年一月頃右商号を株式会社大晶と変更すると共に、同年四月には本店を東京都中央区銀座四丁目三番地に移した。そして、株式会社大晶(以下、大晶と略称する)は社員一五名位で引続き繊維雑貨の輸入販売、鋼材の卸販売を営んでいた。

ところで、小沢専七郎及び同人や途中まで被告人堀口秀真が経営していた前記日米通商株式会社、株式会社ドライブイン等の諸会社は、昭和二六年末までに第一相互銀行から約七、〇〇〇万円を借受けていたが、両社ともこれを焦付かせたまま倒産した。しかし、これに対する担保としては、前記合資会社幸楽会館名義の建物のうち三棟に債権限度額一、五〇〇万円の第三順位の根抵当権と、株式会社ドライブイン名義の建物一棟に債権限度額一、五〇〇万円の第二順位の根抵当権が設定されているだけであった。

そこで、昭和二七年頃第一相互銀行、被告人堀口秀真、小沢専七郎の三者が協議し、大晶は右日米通商株式会社等の第一相互銀行に対する債務約七、〇〇〇万円を引受けると共に小沢専七郎やその関係会社に立退料を支払い、小沢専七郎やその関係会社は前記永田町二丁目所在の土地建物から立退くことになった。

かくして、大晶は第一相互銀行から小沢専七郎に対する立退料及び仲介者に対する謝礼金(六、五〇〇万円)、株式会社ドライブインの立退料(四五〇万円)、弁護士に対する謝礼金(一〇〇万円)、外人商社の立退料(九七〇万円)、諸経費(四〇〇万円)等の支払資金を借受けて、前記永田町二丁目二九番の三並びに二二番及び二九番の六の宅地及びその上の建物から小沢専七郎やその関係諸会社を立退かせた。

そして、大晶は第一相互銀行のいわゆる見せ金によって昭和二七年五月三〇日株式会社幸楽を設立し、合資会社幸楽会館名義の永田町二丁目二九番の三の宅地二、〇二八坪三合二勺及びその上にある前記諸会社の建物八棟を右株式会社幸楽の所有に移すと共に、株式会社幸楽に大晶の第一相互銀行に対する債務を保証させたうえ、これらの土地建物に第一相互銀行のため昭和二八年九月一八日元本債権限度額三、九三八万三、〇六〇円、同年一〇月一四日元本債権限度額二億円の根抵当権を設定した。更に、大晶は昭和二八年八月頃から昭和二九年三月頃までに第一相互銀行から資金を借受けて、常磐相互銀行に一七五万六、八五二円、横浜興信銀行に六、三〇〇万円、仲介者に謝礼金三七〇万円、滞納税一二二万九、八四七円をそれぞれ支払ったうえ、同年四月に常磐相互銀行、横浜興信銀行の右土地・建物に対する根抵当権設定登記を抹消させて第一相互銀行の根抵当権を第一順位にした。

また、大晶は第一相互銀行から昭和二八年三月、四月に一、五〇〇万円を借受けてこれを日本信託銀行に支払い、同銀行の前記株式会社ドライブイン名義の建物一棟に対する根抵当権設定登記を抹消させ、これに対する第一相互銀行の前記抵当権を第一順位にした。そして、第一相互銀行のため昭和二八年九月一二日右建物の上に更に元本債権限度額一、五〇〇万円の根抵当権を設定した。

一方、第一相互銀行は昭和二七年一〇月三日頃前記日米通商株式会社名義の永田町二丁目二二番及び二九番の六の宅地六五八坪九合とその上にある建物三棟の所有権を価格六、九五七万三、二五〇円(内訳、日本信託銀行に対する代位弁済二、〇〇〇万円、訴訟費用一、〇〇〇万円、登記費用三〇万九、二五〇円、貸付金との相殺額三、九二六万四、〇〇〇円)で取得し、これらに対する日本信託銀行の根抵当権を消滅させた。

ところで、大晶は前記のように繊維雑貨の輸入販売や鋼材の卸販売を営み、それによって昭和二八年春頃までは会社経費をまかなっていたが、その後は第一相互銀行からの借入や融通手形の割引、更には商品を仕入値の三割引で投売して得た資金等で経費をまかなうようになった。そして、この上に前記日米通商株式会社等の第一相互銀行に対する債務を引受け、また同銀行から小沢専七郎、常磐相互銀行、横浜興信銀行、日本信託銀行等に対する支払資金を借入れたため、大晶の第一相互銀行からの借入金は昭和二九年四月二七日頃までに総計約三億四、〇〇〇万円に達した。

なお、相互銀行の同一債務者に対する貸出は、相互銀行法第一〇条により銀行株主勘定の一〇%以下に、また大蔵省銀行局通達で一、〇〇〇万円以下にそれぞれ制限されているため、第一相互銀行は大晶に対する右貸付金を種々の名義に分割して貸付けていた。

また、第一相互銀行は大晶に対する右貸付金の担保として、前記のように株式会社幸楽名義の宅地二、〇二八坪三合二勺及び建物八棟並びに株式会社ドライブイン名義の建物一棟に元本債権限度額総計三億四、四三八万三、〇六〇円の根抵当権を設定していたが、第一相互銀行が昭和二八年八月三日日本勧業銀行に依頼した評価によると、右建物は計一、八七四万三、三〇〇円、宅地は坪当り六万五、〇〇〇円で計一億三、一八四万八〇〇円の総計一億五、〇五八万四、一〇〇円であった。右担保物件のうちその中心となるべき宅地は、当時値上りを予想されていたものの昭和二九年頃の時価は精々坪当り一二、三万円(一三万円として計二億六、三六八万一、六〇〇円)であった。

二、本件犯行

以上のように、大晶は昭和二八年春頃から第一相互銀行からの借入や融通手形の割引、更には商品を仕入値の三割引で投売して得た金で会社経費をまかなっていたが、昭和二九年に入ると前記株式会社幸楽名義の二、〇二八坪三合二勺の土地及びこれに隣接する第一相互銀行名義の六五八坪九合の土地にアパートメントホテルを建設する企画を立ててその建設資金として外資の導入や国内資本の蒐集に乗出し、そのための経費や会社の維持費、更には右融通手形の決済資金等を得るため、被告人堀口秀真は直接または前記浜名哲三、高山作郎を通じ、被告人堀口貫道、同渡部に対し、第一相互銀行の資金を大晶に貸増してくれるように懇請した。

しかしながら、大晶に対する貸付は、既に約三億四、〇〇〇万円に達し、危険分散の趣旨を含む前記相互銀行法第一〇条、大蔵省銀行局通達の制限をはるかに超過していることはもとより、第一相互銀行貸付金全体の一割以上を占め、同銀行が大晶と運命を共にする結果を招きかねない危険な貸付であった。また大晶は当時第一相互銀行等からの借入金等によって経費をまかなっている状態で利益のあがる営業はしておらず、右貸付に対する担保としては前記土地建物が存するだけで、その時価からすれば完全なる回収の危ぶまれる貸付であり、また元本の返済はもとより利息の支払もないまま既に長期間固定しており、収益性、流動性を欠いた貸付であった。一方、当時の第一相互銀行は預金業務が振わず、預金の約半分を占めていた政府指定預金が引上げられ、しかも、大晶に対する右貸付金が固定しているため、資金量が枯渇し、至急資金量の回復を図らねばならない状態にあった。

かかる場合、第一相互銀行の取締役社長または常務取締役として同銀行の業務全般を統轄していた被告人堀口貫道、同渡部としては、ひたすら銀行の利益を図り、既に担保物件を確保した現在では大晶に対する貸増を直ちに停止し、大晶に対する既存貸付金については適時担保物件を処分してこれを回収し銀行の資金量の回復を図るべく、たとえ、右担保物件の保全や適時処分の必要上、貸増を行なう場合においても、必要資金について大晶側と予め検討協議を遂げて最少限度に絞り、且つ返済期限を確約し、またその債権を保全するため市場性、換金性のある担保を徴するなり、あるいは部下銀行員を大晶に派遣して大晶の経理を管理せしめ、右貸増金の流用を防ぐ等適宜且つ慎重なる万全の措置を講ずべき任務を有するものというべきである。

しかるに、被告人堀口貫道、同渡部は、前記株式会社幸楽及び株式会社ドライブイン名義の担保物件の適時処分について何らの措置を講じないばかりか、既に第一相互銀行の所有に帰した前記六五八坪九合の土地及びその上の建物三棟も大晶関係者の使用にまかせたまま、被告人堀口秀真からの貸増方の懇請に応じて、被告人三名は共謀のうえ、大晶に対しこの上銀行資金を貸増すれば、相当期間内に回収できないことはもとより第一相互銀行に回収不能の危険が生じ、また銀行資金の枯渇を激化させることを認識しながら、大晶の利益を図る目的をもって、被告人堀口貫道、同渡部において自己の第一相互銀行取締役社長、常務取締役としての前記任務に背き、使途についての充分な調査をなさず、弁済期限の確約もなく、また確実充分なる保証人や担保物の提供を受けることなく大晶が預金者や預金者を募って預金を銀行に導入するいわゆる導入屋に対し預金謝礼金や手数料等のいわゆる裏利息を支払い、銀行が大晶に融資することを条件とするいわゆる導入預金を受入れる等したうえ、前記法令通達による融資額の制限を免れるため貸付名義を分割し、左掲大晶関係貸付一覧表記載のとおり、昭和二九年四月二八日から昭和三一年六月一六日までの間四五回に亘り、前記第一相互銀行本店において、大晶に対し同銀行資金八、〇三三万五、三一五円を貸付け、もって同銀行に対し同額の資金回収不能の危険と資金枯渇を生じさせる財産上の損害を加えたものである。

大晶関係貸付一覧表 ≪省略≫

第二、阪田誠盛関係(昭和三二年特(わ)第二七七号、同年七月三〇日付起訴状)

一、本件犯行に至る経緯及び本件犯行の背景

被告人阪田誠盛は、大連で小学校、商業学校を卒業し、鞍山製鉄所を経て満鉄に勤務中、北京民国大学政治学科に留学し、昭和六年頃から日本陸軍の情報活動員として満州、北支、中支を舞台に情報活動に従事し、最後は松機関長として終戦を迎えた。そして、戦後は浪人生活を送っていたが、その間中国大陸で情報活動に従事していた頃の知人、友人、部下等への援助や義理立で所持現金を費し、昭和二七年九月頃から同被告人所有の東京都渋谷区豊分町一二番の一宅地六八六坪九合五勺及び同番の二宅地二五二坪五勺並びに同所所在の家屋番号同町一四四番の建物六棟を抵当に三喜不動産株式会社等の高利貸より借金を累ねるに至った。そこで、同被告人は旧友部下らと共に事業を興そうと考え、昭和二八年春頃から同都千代田区丸の内一丁目二番地ホテル東京三三五号室及び三三七号室に本拠を置き、同年八月頃いずれも同被告人の出資で、同被告人を代表取締役として中共貿易を目的とする東一物産株式会社、大陸時代の旧友杉原栄一を代表取締役として金融業を目的とする松屋相互勧業株式会社、知人の長谷部太郎を代表取締役として映画製作を目的とする富士映画株式会社をそれぞれ設立し、昭和二九年一月頃には同じく同被告人の出資で元部下の板垣清を代表取締役として発泡ビール製造を目的とする富士醸造株式会社を設立すると共に、右松屋相互勧業株式会社を香港・台湾貿易を目的とし代表取締役を秘書の細谷徳子とする江安実業株式会社に変更したが、富士映画株式会社として中国映画一本を輸入した外はいずれも儲口の摸索に止って何らの事業活動をなさず、前記高利貸からの借金等で人件費や事務所維持費をまかない、友人知人に対する義理立をしていたため、右借金は昭和二九年春頃までに約六、〇〇〇万円に達し、高利に追われることとなった。

かくして、同被告人は、一時は前記土地建物を処分して右借金を清算しようと考えるに至ったが、元中国大陸で情報活動に従事していた友人の吉田裕彦の紹介で第一相互銀行に対し資金借入の申込をすることになった。そして、昭和二九年五月五日前後に吉田裕彦に連れられ前記第一相互銀行本店を訪れ、被告人堀口貫道に融資方を依頼したところ、同被告人から、被告人阪田が同銀行より融資を受ける見合として同銀行に預金を導入することを条件に同銀行資金を被告人阪田に融資する旨の了解を得た。そこで、被告人阪田は同月八日頃前記土地建物に同銀行のため元本債権限度額二、五〇〇万円の第二順位の根抵当権を設定して同銀行から五〇〇万円を借入れたのをはじめとして、同年末までに約九、二〇〇万円の借入をなし、前記高利貸等からの借金の返済等に当てた。

ところで、被告人阪田の事業の方は、前記東一物産株式会社として、同年秋から翌三〇年春に掛けた頃、日本フォード会社の所有にかかる横浜市鶴見区子安所在の土地約一四万坪を買取ってこれを他に転売することを計画したが、相手方から保証金としてドル貨幣を積むことを要求され、また右土地上に米軍が駐留していたりして、結局交渉費等として約三〇〇万円の出費をしたあげく失敗に終り、同じ頃中共に船舶、印刷機、製糖機等を輸出する計画を立てたが、これまた計画に介在した者らへの手当等として約一、〇〇〇万円の出費をして失敗に帰した。また、昭和三〇年一二月頃前記富士映画株式会社の商号を新映株式会社と変更し、被告人阪田がその代表取締役となり、自衛隊のPR映画の製作を計画したが、シナリオを完成させた段階で約二〇〇万円の出費をして挫折した。更に、同年七月頃前記富士醸造株式会社の商号を富士機械販売株式会社と変更し、その代表取締役を旧友の岡田芳政として、群馬県前橋市内の富士機械株式会社にオートバイの製作を委託してこれを販売することを計画し、同会社に前渡金として約一、四〇〇万円を支払い、約二四〇台を作らせたが、故障が多く約五〇台を販売し約四二台分の代金(一台一八万五、〇〇〇円)を受取っただけに終った。そこで、同年一二月頃右富士機械販売株式会社の商号を金剛機械株式会社と変更し、途中から被告人阪田がその代表取締役となり、政府の余剰農産物見返資金を全購連を通じて借入れ、当時危殆に瀕していた日平産業株式会社の経営権を握り、これに改良農機具を製作させて全購連に納入することを計画したが、余剰農産物見返資金の借入にもまた日平産業株式会社の経営権掌握にも失敗し、約二、五〇〇万円の出資をして挫折した。

以上の諸会社は、総て被告人阪田の出資で設立され且つ維持されていたものであり、右諸会社の収支に被告人阪田の全く個人的収支も含めて一本の会計で処理されていたが、その収入は、被告人阪田所有の家屋の家賃が一ヶ月約三三万円ある外は、ほとんどが第一相互銀行からの借入金であり、右第一相互銀行からの借入金は昭和三一年三月末までに約三億四、二〇〇万円に達した。一方、右借入金の使途をみるに、同銀行に対する利息、無尽掛金が約四、二〇〇万円、同銀行から右借入をなすに際し同銀行に導入した預金に対する裏利息が約一億二、〇〇〇万円、外からの借金返済金が約四、二〇〇万円、人件費事務所維持費等が約一、六〇〇万円、前記富士機械販売株式会社に対するオートバイ製作費の前渡金や広告費が約一、七〇〇万円、不動産関係の建築、営繕、保険、登記費用等が約一、三〇〇万円、そして被告人阪田の生活費、交際費、知友人に対する義理立金、更には第一相互銀行の種々の事故に関する工作費等が約八、三〇〇万円であった。

二、本件犯行

以上のように、被告人阪田は昭和二九年五月頃からはほとんど第一相互銀行からの借入金によって事業計画費、事務所維持費、交際費、生活費等をまかない、あるいは他からの借入金を返済し、更には同銀行から融資を受ける見合として同銀行に導入した預金の裏利息を支払っていたが、同被告人の同銀行からの借入金は昭和三〇年三月末の段階で約一億一、六〇〇万円に達していた。これに対して、同銀行のため、同被告人所有の前記東京都渋谷区豊分町一二番の一宅地六八六坪九合五勺及び同番の二宅地二五二坪五勺並びに同所所在の家屋番号同町一四四番の建物六棟、前記細谷徳子所有名義の同都中央区銀座東二丁目二番の二宅地一八坪七合三勺及び同番の三宅地一七坪七合三勺並びに同所所在家屋番号同町二番の一五の建物一棟、被告人阪田の妻子名義の熱海市伊豆山所在の宅地計一、〇四〇坪二勺、鉱泉地一坪、山林・原野・畑計九反一畝二四歩及び建物二棟に対する所有権または共有持分等に元本債権限度額計九、七〇〇万円の根抵当権を設定するに止まったが、被告人阪田はなおも被告人堀口貫道、同渡部、同前田らに対し同銀行の資金を自己に貸増してくれるよう懇請した。

しかしながら、第一相互銀行の被告人阪田に対する貸付は、既に約一億一、六〇〇万円に達し、危険分散の趣旨を含む前記相互銀行法第一〇条及び大蔵省銀行局通達による融資額の制限をはるかに超過していた。また、被告人阪田はほとんど第一相互銀行からの借入金で個人生活から事務所の経費までまかなっている状態で、事業経営の手腕を欠き、利益のあがる事業は何もなしておらず、同銀行からの借入金もその大部分は導入預金に対する裏利息の支払や他からの借入金の返済、更には事務所出入の者に対する義理立や交際費等に当てられ、着実な事業に投資されたものはほとんどなく、前記土地建物に設定された根抵当権の債権限度額を既に超過していたが、右土地建物は第一相互銀行の机上調査で計一億七、四三六万九、四八〇円と評価されるに止まった。そして、右貸付は元本の返済はもとより利息の支払もほとんどないまま約一年間固定していた。従って第一相互銀行が被告人阪田に対しこれ以上貸増をすれば、ますます銀行融資全体のバランスが失われて銀行経営の安全性が害されることになり、また貸付金が相当期間内に回収されずに資金が固定し、遂には回収不能になる危険が生じ、それに資金運用による利息収益を失う状況にあった。一方、当時の第一相互銀行の資金量は更に枯渇し、資金繰がますます苦しくなっていた。

かかる場合、第一相互銀行の取締役社長または常務取締役として同銀行の業務全般を統轄していた被告人堀口貫道、同渡部及び同被告人らの命を受けて貸付事務を処理していた被告人前田としては、ひたすら銀行の利益を図り、被告人阪田に対する貸増を直ちに停止し、既存貸付金については適時担保物件を処分してこれを回収し銀行の資金量の回復を図るべく、たとえ既存貸付金債権を保全するため貸増を行なう場合においても、その使途を精査して相当期間内に回収できるものに絞り、且つ返済期限を確約し、またその債権を保全するため市場性、換金性のある担保を徴するなり、あるいは部下社員を被告人阪田の事務所に派遣してその経理を管理せしめる等適宜且つ慎重なる万全の措置を講ずべき任務を有するものというべきである。

しかるに、被告人堀口貫道、同渡部、同前田は前記担保物件の適時処分について何らの措置を講じないばかりか、被告人阪田の貸増方の懇請に応じ、左掲阪田関係貸付一覧表番号二一(訴因番号34)の貸付を除いては被告人四名、右番号二一の貸付については被告人堀口貫道、同渡部、同阪田の三名は共謀のうえ、被告人阪田に対しこのうえ第一相互銀行の資金を貸増すれば、相当期間内に回収できないのはもとより同銀行に回収不能の危険が生じ、また同銀行資金の枯渇状態を激化させることを認識しながら、同被告人の利益を図る目的をもって、被告人堀口貫道、同渡部、同前田において、自己の同銀行取締役社長、常務取締役、貸付事務担当者としての前記任務に背き、使途について何らの調査もなさず、弁済期限の確約もなく、また確実充分なる担保物や保証人の提供を受けることなく、被告人阪田が裏利息を支払い同被告人に融資することを条件とした導入預金を受入れる等したうえ、前記法令通達による融資額の制限を免れるため貸付名義を分割し、左掲阪田関係貸付一覧表記載のとおり昭和三〇年四月一八日より昭和三一年六月一八日までの間二七回に亘り、前記第一相互銀行本店において、被告人阪田に対し同銀行資金計九、四四七万円を貸付け、もって同銀行に対し同額の資金回収不能の危険と資金枯渇を生じさせる財産上の損害を加えたものである。

阪田関係貸付一覧表 ≪省略≫

(証拠の説明及び弁護人の主張に対する判断)

第一、判示冒頭の事実について

判示冒頭の事実は、

≪証拠省略≫によってこれを認める。

第二、判示第一の株式会社大晶関係の事実について

(一)  判示事実は、

≪証拠省略≫を総合してこれを認める。

(二)  弁護人は、本件貸付行為について、まず個々の貸付につき左の如く主張するので、これについて判断する。

弁護人は、右貸付のうち訴因番号2、10、46、47、52、53、59ないし69、72、73、75、76、79の貸付は従前の旧貸付を書替えたもので新規貸付ではないと主張するので、この点につき検討する。

訴因番号2の昭和二九年四月二八日付根本三郎名義二〇〇万円の貸付については、細谷晃一の検察官に対する昭和三一年一二月一一日付供述調書添付の大晶関係未返済貸付明細表(以下、細谷B表と略称する)によると、その貸付金として第一相互銀行振出住友銀行宛額面一九四万六、九六〇円の小切手が交付されている。そして、弁護人は細谷晃一作成の昭和三一年一一月二九日付答申書添付の大晶関係取引状況表(以下、細谷A表と略称する)によると大晶に対する貸付残高が昭和二九年四月一七日付で三億三、八七二万三、一九一円であるのに対し本訴因の貸付日である翌二八日付では三億三、五四二万三、一九一円と減少しているので二八日に新規貸増はあり得ないと主張するが、二八日の返済口を検討すると、鷲田宏名義五二五万円の返済に対しては同月三〇日に同名義で五九〇万円の貸付が起され、ミヨシ石油株式会社名義四六五万円の返済に対しては同日同名義で同額の貸付が起され、株式会社山兼商店名義一五〇万円の返済に対しては同月三〇日に同名義で同額の貸付が起されており、本訴因の貸付が新規の貸増であるということと当日の貸付残高が減少していることとは矛盾しない。またその前後の返済貸付状況をみても、本訴因の貸付が書替であるという形跡はない。また、大晶関係の貸付においては前記茶封筒入貸付関係書類のうち借用証の存在する貸付は、一部のものを省いてほとんどが新規貸付と認められるのであるが、本訴因の貸付についても借用証が存在する(昭和四〇年押第二三四号の六)。従って、本訴因の貸付は新規の貸付と認める。なお、本貸付が大晶に直接関係のないものであるとの主張については後に判断する。

訴因番号10の昭和二九年八月四日付常生産業株式会社名義四〇万円の貸付については、押収してある当座勘定元帳のうち東京地方検察庁昭和三一年領第一七、五〇〇号の符号二一〇号一四の一四九頁をみると、右貸付金のうち三八万五、〇二〇円が同日同会社の当座預金に振替入金されていることが認められ、これが書替操作に伴うものであるとの形跡はない。弁護人は、右貸付は同年七月二七日付株式会社大晶名義四〇万円の貸付の書替であると主張するが、細谷A表によると右大晶名義の貸付がその後書替えられた形跡はない。

訴因番号62の昭和三〇年四月二六日付高萩商店こと高萩仙之助名義三〇〇万円の貸付については、細谷B表によるとその貸付金として金額二九八万五、七六〇円の第一相互銀行振出自己宛小切手(預手)が交付されており、また押収してある大晶関係貸付メモのうち東京地方検察庁昭和三一年領第一七、五〇〇号符号第二四五号⑤によると、当日大晶から第一相互銀行に対し三〇〇万円の導入預金が入れられているので、本訴因の貸付は新規貸付と認められる。

訴因番号79の昭和三〇年五月一八日付桜国製作所こと桜国寿郎名義一五〇万円の貸付については、押収してある当座勘定元帳のうち東京地方検察庁昭和三一年領第一七、五〇〇号符号二一〇号六の一二二頁をみると、当日大晶の当座預金に一七六万円が入金されており、しかもその項目に「振一、五〇〇、〇〇〇」と記入されているので、本訴因の貸付金が右当座預金に振替入金されたものと認められ、これが書替操作に伴うものであるという形跡はない。従って、本訴因の貸付は新規貸付と認められる。

訴因番号46、47、52、60、61、63、64、69の貸付について。大晶関係第一四回公判調書中証人浜名哲三の供述部分並びに篠原良之助作成の答申書添付の株式会社大晶の導入預金及び裏利子一覧表によると、大晶は第一相互銀行から融資を受けるため昭和三〇年六月頃まで同銀行に導入預金を入れ、右導入預金に対する預金謝礼金や手数料等いわゆる裏利息支払資金も第一相互銀行から借受けていたが、右裏利息は高いもので三ヶ月一割二分、平均八分であったことが認められる。そして、押収してある大晶関係メモのうち東京地方検察庁昭和三一年領一七、五〇〇号符号第二四五号⑤のメモによると、大晶は右各訴因の貸付当該日に左掲「裏利息支払のための貸付状況表」記載のとおり導入預金を入れていることが認められるが(但し、四月一九日の二〇〇万円は右メモには四月二〇日の欄に記入されている)、右各貸付金額は当該日の導入預金の六分六厘ないし一割二分五厘である。また、右メモには右各貸付と同じ日付でいずれも「小切手三市ウ(右各貸付金額)」の記入があり、大晶は第一相互銀行から右各貸付を受ける際、その担保として三市商事株式会社振出名義の小切手を差入れていることが認められ、右の「小切手三市ウ」のウは裏利のウを表示しているものと推測される。以上の事実を総合すると、右各訴因の貸付は、大晶が第一相互銀行から融資を受けるために入れた導入預金に対する裏利息の支払資金として借りたものであると認められる。

裏利息支払のための貸付状況表 ≪省略≫

訴因番号53、59、65ないし68、72、73、75、76の貸付について。

細谷B表並びに竹内清作成の答申書添付の株式会社大晶の交換呈示約束手形店頭買戻分、不渡分及び当座預金決済分一覧表によると、大晶は左掲「約束手形店頭買戻のための貸付状況表」記載のとおり右各貸付の当日三菱銀行日比谷支店等から持出された大晶振出支払場所第一相互銀行の約束手形を同銀行の店頭で買戻していることが認められる。また、前記大晶関係貸付メモによると、大晶は第一相互銀行に訴因番号75、76を省いたその余の貸付当日左掲一覧表記載の如く導入預金を入れていることが認められる。以上の事実を総合して、右各訴因番号の貸付は大晶が約束手形の買戻等の資金として借りた新規貸付と認める。

約束手形店頭買戻のため貸付状況表 ≪省略≫

次に、弁護人は訴因番号2、13、14、35、38、45、54、77、78、80、82、83、89、91ないし97の貸付はいずれも当該名義人が借りたもので大晶には関係がないと主張するので、この点につき検討する。

大晶関係第一六回公判調書中証人細谷晃一の供述部分及び細谷A表、大晶関係第一二回公判調書中証人高橋秀夫の供述部分及び押収してある第一相互銀行管理課作成の貸付明細表によると、右各貸付はいずれも大晶の役員社員が第一相互銀行に申込んで来たものであり、同銀行としては名義は異っても大晶に対する貸付として把握していたことが認められる。

田村雅明の司法警察員に対する昭和三一年一月二二日付、同月二三日付の各供述調書、柳沼和良の司法警察員に対する同月二一日付供述調書、田村雅明作成の答申書、押収してある大晶関係貸付メモのうち東京地方検察庁昭和三一年領第一七、五〇〇号符号第二四五号②及び③のメモによると、右各貸付名義人による借入は大晶の借入元帳等にも記入されていたことが認められる。また、右メモには訴因番号82、83、88、89、91、93、94、95の貸付は大晶より直接申込のあったものである旨の記入がある。

大晶関係第一四回、第一五回公判調書中証人浜名哲三の供述部分によると、訴因番号35、77、78、80、82、83、89、91、93、94、95の貸付金はいずれも大晶において使用していることが認められる。

大晶関係第一五回公判調書中証人高山作郎の供述部分及び証人田村雅明の当公判廷における供述によると、訴因番号35、88の貸付金は大晶において使用していることが認められる。

押収してある茶封筒入貸付関係書類のうち、訴因番号83、92、93、94の貸付の延期申込書には、大晶に対する貸付である旨の記載があり、訴因番号88の貸付の延期申込書には判示高山作郎がこの貸付に関与している旨の記載があり、訴因番号91の貸付の借入申込書にはその提出者が右高山作郎である旨の記載があり、訴因番号95の貸付の借入申込書にはその提出者が判示浜名哲三である旨の記載がある。また、右貸付関係書類によると、訴因番号91ないし97の貸付名義である三市商事株式会社、富士商工株式会社の所在地はいずれも大晶と同じ東京都港区赤坂田町二丁目一一番地であり、三市商事株式会社の代表者は右浜名哲三であることが認められる。

更に、被告人堀口秀真の当公判廷における供述(昭和三九年一〇月一五日)によると、訴因番号14、45の貸付金は大晶において使用しており、また同被告人の司法警察員に対する昭和三二年一月二八日付供述調書(但し、同被告人に対してのみ)によると、訴因番号89、91ないし94、96、97の貸付はずれも同被告人が直接第一相互銀行に申込んで借りたものであることが認められる。

以上を総合すると、弁護人主張の右各訴因番号の貸付は、いずれも名義は大晶ではないが、その貸付先の実体は大晶であり、第一相互銀行側もそのことを認識して右貸付をなし、且つ右貸付金は大晶において使用していることが認められる。

なお、弁護人はこのうち訴因番号89の貸付は、メタルーブ工業株式会社の設立に際し株式の払込を仮装するために借受けたものであり、右貸付金はメタルーブ工業株式会社の当座預金に振替えられ、且つ同会社の代表者印の押捺された小切手が第一相互銀行に預けられて同銀行において何時にても返済に当てられるようになっていたのであるから、このことのみによっても同銀行に対し財産上の損害を加えていないことは明らかであると主張する。

押収してある茶封筒入貸付関係書類(昭和四〇年押第二三四号の七二)及び当座勘定元帳のうち東京地方検察庁昭和三一年領一七、五〇〇号符号二一〇号八の四八頁によると、右貸付金はメタルーブ工業株式会社の設立に際し発行される株式二、五〇〇株の払込を仮装するために借りられたものであり、第一相互銀行におけるメタルーブ工業株式会社の当座預金に振替えられている。そして、同会社の代表者印の押捺された白地小切手五通及び小切手帳が第一相互銀行に預けられていることが認められるのであるが、大晶関係第一三回公判調書中証人高橋秀夫の供述部分によると、右白地小切手及び小切手帳が預けられたのは、右貸付の返済期限後のことであることが認められる。従って、このことのみをもってしては、右貸付によって損害発生の危険が生じなかったと結論づけることはできない。

(三)  次に、弁護人は、本件貸付行為全般について、本件貸付によって第一相互銀行には財産上の損害が生じておらず、また被告人らに財産上の損害発生の認識がなかったと主張する。

確かに、第一相互銀行管理部管理課作成の昭和三九年一一月一八日付「貴殿関係の当行債権に対する弁済状況について」と題する書面によると、被告人堀口秀真は昭和三二年七月五日から昭和三九年六月一〇日までに第一相互銀行に対し本件貸付金を含む全貸付金の元本とその利息の一部を支払っていることが認められるが、当裁判所は、本件貸付行為によって被告人らは第一相互銀行に対し資金の枯渇と資金回収不能の危険を生じしめる財産上の損害を加えたものであり、右弁済は単に犯罪成立後の情状の問題に過ぎないものと考える。

即ち、前掲各証拠によると、

(1) 第一相互銀行は、判示のとおり、政府指定預金の引上げと大晶関係の既存貸付金の固定が原因で、昭和二九年に入ると既に資金不足を来し、資金繰に追われる状態になっていた。

(2) 従って、同銀行としては貸付をなす場合においても、大口化を避けると共に相当期間内に回収できるものに限って、資金の流動性を保たなければならない状況下に置かれていたのであるが、当時の大晶は利益のあがる仕事はしておらず、また後述のホテル会社設立計画にしても未だ準備段階で、これに資金を貸付けても相当期間内に回収できるという見通しはなかった。

(3) そして、銀行の支払準備金は最低定期預金の一〇%、要求払預金の二〇%を必要とするにもかかわらず、大晶に対する本件貸付金の固定と他の同種不良貸付金の固定が原因で、本件貸付行為の直後である昭和三一年六月一八日頃には、第一相互銀行は現金数十万円を残すのみとなり、預金の支払ができなくなった。(特に、全体関係第二五回公判調書―昭和三六年四月一七日―中証人館内四郎の供述部分、全体関係第二九回公判調書―同年七月一四日―中証人河野慶一の供述部分)

(4) そのため、第一相互銀行は富士銀行から五億円、全国相互銀行協会から一二億円、信用保証協会から三億円の援助資金を仰がねばならなくなった(特に、館内四郎の検察官に対する昭和三一年一一月一六日付供述調書)事実を認めることができる。

以上のように、銀行が資金不足にあえいでいる状況下にあって、本件のように相当期間内に回収できる見込のない貸付をなすことは、それだけ銀行資金を枯渇させるものであり、右貸付金の回収が最終的に不能になると否とにかかわらず、銀行に対し財産上の損害を加えたものといわなければならない。

また、第一相互銀行の大晶に対する貸付金残高は本件貸付金を含めて昭和二九年四月二八日現在で約三億四、〇〇〇万円、昭和三一年六月一六日現在で約五億一、六〇〇万円に達していたが、これに対して同銀行のため設定されていた根抵当権の債権限度額は三億四、四三八万三、〇六〇円であり、右担保物件について昭和二八年八月三日日本勧業銀行のなした評価は一億五、〇五八万円四、一〇〇円であった。弁護人は、右担保物件のうちその中心となるべき東京都千代田区永田町二丁目二九番の三宅地二、〇二八坪三合二勺の価格が昭和二九年頃でも既に坪当り二〇万円であったと主張し、株式会社佐々木商会社長佐々木芳朗作成の昭和二九年二月二二日付評価書、全体関係第二五回公判調書(昭和三六年四月一七日)中同人の供述部分によると、右佐々木芳朗は昭和二九年二月現在で右宅地を坪当り約二〇万円と評価した事実が認められるのであるが、安達平八郎の検察官に対する供述調書によると、東急不動産株式会社は昭和三〇年から昭和三一年に掛けた頃坪当り一二、三万円と評価し、根橋武男の検察官に対する供述調書によると、三井不動産株式会社は昭和三〇年頃坪当り一〇万円から一五万円と評価し、大晶関係第一七回公判調書中証人畠山五郎の供述部分によると、有楽土地株式会社営業部長である同人は、昭和三一年頃坪当り一〇万円から一二、三万円と評価している事実が認められる。一般に、土地には代替性がなく、その価格は買方の使用目的等主観に左右されるところが大きいので、厳格にいえば客観的価格というものは存在しないといえようが、買方を比較的客観性のある不動産会社とした場合、右土地の価格は右各事実を総合して、将来の値上りを予想されながらも本件当時では一二、三万円程度とするのが相当と認められ、坪当り一三万円として総計二億六、三六八万一、六〇〇円である。それに、当時の大晶は利益のあがる事業をしておらず、後述ホテル会社設立計画も未だ準備段階で、右土地をこれに高値で売却する確実な見通のなかったこと等を考え併せると、本件貸付行為によって第一相互銀行には資金回収不能の危険が生じたものといわざるを得ず、右危険は銀行の信用取引上で許された危険ということはできず、財産上の損害たる危険といわなければならない。

そして、以上のような第一相互銀行の資金不足の状態、大晶の営業状態、ホテル会社設立計画の進行状況、担保物件に対する日本勧業銀行の評価等を認識していた被告人らが、右のような財産上の損害発生の事実を認識していたことは明らかであるといわなければならない。

(四)  更に、弁護人は、本件当時大晶は外資を導入しあるいは国内資本を集めて第一相互銀行の大晶に対する既存貸付の担保である株式会社幸楽名義の二、〇二八坪三合二勺並びにこれに隣接する第一相互銀行名義の六五八坪九合の宅地上でアパートメントホテルを営む会社を設立し、その会社に右土地を売却して第一相互銀行の既存貸付金を支払わんとしていたものであり、本件貸付金は右外資導入あるいは国内資金蒐集のための経費として貸出されたものである、従って被告人らの大晶に対する本件貸付は既存貸付金の回収を図らんとしてなされたもので、第一相互銀行の利益を図る目的のもとに出たものであると主張する。

よって、検討するに、当時大晶が右地上にアパートメントホテルを建設する計画を立て、その建設資金として外資の導入や国内資本の蒐集に乗出し、そのための経費を第一相互銀行から借りていたことは明らかであるが、右に掲げる各証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 大晶は、当時他と融通手形を交換し、相手方振出の手形を日本信託銀行、平和相互銀行等で割引いて事業資金に当てたうえ、相手方には大晶振出支払場所第一相互銀行の手形を交付し、右手形を決済するために第一相互銀行から資金を借りるという方法で他銀行からの借入金を第一相互銀行にしわ寄せしていた。また、大晶はホテル会社設立計画のかたわら、昭和三〇年五月二五日頃まで繊維販売等の事業を営んでおり、その後もメタルーブ工業株式会社等の設立を計画し、そのための運転資金や会社設立資金等も第一相互銀行から借りていた。更に、大晶は第一相互銀行から融資を受けるため同銀行に導入預金を入れていたが、右導入預金に対する裏利支払資金も同銀行から借りていた。本件貸付金には、弁護人主張のホテル会社設立の資金集めの経費の他に、右手形決済資金、運転資金、裏利支払資金、更には被告人堀口秀真が他に用立てた資金等が含まれており、むしろこれらの占める割合の方が大きい。

(2) また、被告人らは大晶に対し本件貸付をなすに際し、その使途について調査をなしていないばかりか使途をホテル会社設立計画関係に制限しておらず、また他に流用されることを防ぐべき何らの措置も講じておらず、何に使用するかは大晶の自由に委ねていた。

(3) そして、本件貸付は前述のように弁済期限の確約がなく、相当期間内に元本が返済され利息の支払われる見込みのないことはもとより、遂には回収不能になる危険を有する不良貸付であって、確実性、収益性、流動性を共に欠いていた。

(4) 一方、当時の第一相互銀行は前述のとおり資金不足の状態にあったが、被告人らは大晶に対して貸付けることを条件としながらも期限が来れば右貸付金が回収されなくても払戻されていく、いわゆる導入預金を受入れるという無理までおかして収益性のない本件貸付を行なった。

(5) 第一相互銀行は、右のように至急資金量の回復をはからねばならない状態にあり、大蔵省銀行局の検査官から再三に亘り大晶に対する貸付を整理するよう注意されていたにもかかわらず、本件土地の処分を引延して大晶の利用にまかせていた。

(6) そして、大晶ではホテル会社が設立された後はその経営に参画し、あるいはこれに本件土地を有利に処分して利益を得ようとしていた。

(7) 被告人らは、大蔵省銀行局検査官の眼から逃れるため、本件貸付にあたっては一切大晶の名義を出さず、しかも右貸付が固定していないかのような粉飾偽装工作を行なっていた。

以上の事実を総合すると、被告人らはその使途を大晶の自由にまかせて利息収益の見込まれない本件貸付を行なったのであるから、その目的は大晶の金融の利益を図ることにあったことが明らかである。また、ホテル会社の設立資金が集まってこれに本件担保土地を売却すれば、第一相互銀行の大晶に対する既存貸付金が回収されるという関係があるにしても、被告人らは大晶にホテル経営参加または売買差益金取得の利益を得させんとしたもので、主たる目的はあくまで大晶の利益を図ることにあり、第一相互銀行の利益を図る目的があったにしてもそれは附随的第二次的であったことが明らかである。従って、弁護人の右主張も採用できないものといわなければならない。

第三、判示第二の阪田誠盛関係の事実について

(一)  判示事実は、

≪証拠省略≫を総合してこれを認める。

(二)  弁護人は、判示各貸付のうち訴因番号2、3、9、20、58、61、62の各貸付について左記のとおり主張するので、まずこの点につき判断する。

弁護人は、訴因番号2の昭和三〇年四月一八日付浜野元子名義五五〇万円の貸付のうち三〇〇万円は同年三月二五日付板垣清名義三〇〇万円の貸付の書替であり、訴因番号3の同年四月一八日付橋本泰名義四五〇万円の貸付のうち二〇〇万円は同月一六日付同名義二〇〇万円の貸付の書替であると主張する。確かに、判示のとおり被告人阪田から第一相互銀行に対し貸付金の実質的返済がなかったにもかかわらず、前掲細谷晃一作成答申書添付の阪田誠盛関係取引状況表及び押収してあるカード式貸付元帳によると、第一相互銀行の貸付元帳には同年四月一八日付で弁護人主張の右板垣清名義及び橋本泰名義の各貸付の返済が記帳されており、右各貸付が新貸付に書替えられていることが認められるが、前掲海老沢正夫作成の借入一覧表によると、右板垣清及び橋本泰名義の各貸付は訴因番号1の同日付松田俊之介名義五五〇万円の貸付に書替えられたものであり、訴因番号2及び3の各貸付はいずれも全額、新規貸付と認められる。

次に、弁護人は、訴因番号9の同年八月二二日付臼井義雄名義二〇〇万円の貸付は同年一一月一九日に返済されており右貸付を回収不能のものとみることはできないと主張する。確かに、前掲細谷晃一作成答申書添付の阪田誠盛関係取引状況表及び押収してあるカード式貸付元帳によると、右貸付は第一相互銀行の貸付元帳の上では弁護人主張のように返済された如く記帳されているが、右証拠に前掲細谷晃一の検察官に対する昭和三一年一二月五日付供述調書添付の阪田誠盛関係未返済貸付金明細表を併せて考えると、右返済は書替のための架空のものに過ぎず、右貸付は訴因番号14の昭和三〇年一一月一九日付佐藤文太郎名義五三〇万円の貸付に書替えられたものであり実質的には何ら弁済されていないことが明らかである。

次に、弁護人は、訴因番号20の昭和三一年一月九日付江安実業株式会社名義五〇〇万円の貸付は前記渋谷区豊分町所在の土地建物に対する三喜不動産株式会社の第一順位の根抵当権を抹消してこれに対する第一相互銀行の根抵当権を第一順位にするための資金としてなされたものであるから、それ自体第一相互銀行の損害とはならないと主張する。確かに、右貸付に対する借入申込書(昭和三九年押第四五七号の二〇)には「常磐相互に対する一切の事件を解決する為、是に依り当行に入担中の豊分町物件に対しては何等の拘束も受けぬ様になる、債権保全の為の貸出」と記入されており、被告人前田は検察官に対する昭和三一年一二月二〇日付供述調書及び当公判廷(昭和三九年四月七日)において「右貸付は常磐相互銀行の第一順位の抵当権を抜くためのものである」と供述している。そして、被告人阪田の検察官に対する昭和三二年七月一七日付供述調書及び東京法務局渋谷出張所法務事務官武金作作成の登記簿謄本によると、被告人阪田は昭和二七年九月頃から三喜不動産株式会社より借金を始め、同月一〇日右三喜不動産株式会社のため、判示渋谷区豊分町一二番の一宅地六八六宅九合五勺及び一二番の二宅地二五二坪五勺並びに同所所在の家屋番号同町一四四番建物六棟に債権限度額五〇〇万円の根抵当権を設定したが、三喜不動産株式会社の被告人阪田に対する右債権はその後常磐相互銀行に譲渡された。そして、被告人阪田は、右借金を支払うため判示のとおり第一相互銀行から資金の貸付を受けることになったが、昭和二九年五月二二日第一相互銀行のため右土地建物に元本債権限度額二、五〇〇万円の第二順位の根抵当権を設定したことが認められる。しかしながら、被告人阪田は第一相互銀行からの借入金によって右三喜不動産株式会社からの借金を返済し、三喜不動産株式会社のための根抵当権設定登記は同月二四日付の解約により同月二七日に抹消されている。従って、第一相互銀行の根抵当権はこの段階で既に第一順位になっているのであって、昭和三一年一月九日付の本件貸付によって第一相互銀行の根抵当権が第一順位になったことを前提とする右弁護人の主張は採用できない。ただ、右貸付金が被告人阪田の常磐相互銀行に対する何らかの債務の弁済に使われ、これが前記借入申込書の「常磐相互銀行云々」の記載となって顕れ、また右記載を基礎とした前記被告人前田の供述となって顕れているのではないかと推測されるが、それだけでは被告人阪田の常磐相互銀行に対する債務が第一相互銀行に肩替りされるだけであって、同銀行の損害になることは明らかである。

また、弁護人は訴因番号58の昭和三一年六月五日付東一物産株式会社名義一三一万五、〇〇〇円の貸付は全額被告人阪田が第一相互銀行のために導入した預金の裏利息であると主張し、被告人前田の検察官に対する昭和三一年一二月二〇日付供述証書、細谷晃一の検察官に対する同月五日付供述調書添付の阪田誠盛関係未返済貸付金明細表には右主張に符合する記載があるが、海老沢正夫の検察官に対する昭和三二年七月二九日付供述調書添付の阪田誠盛第一相互銀行借入金明細表によると、後記無罪理由第二の四で述べるとおり被告人阪田が被告人堀口貫道の依頼により第一相互銀行に対し自己に対する融資を見合とすることなく導入した預金の裏利息は、右貸付金のうち三一万五、〇〇〇円で残り一〇〇万円は別途の純然たる被告人阪田に対する貸付であることが明らかである。

最後に、弁護人は、訴因番号61の昭和三一年六月八日付東一物産株式会社名義四二〇万円及び同62の同日付江安実業株式会社名義四五〇万円の各貸付金はいずれも第一相互銀行が支払保証をした約束手形の決済資金としてなされたものであり、右約束手形は吉田裕彦が第一相互銀行のため種々工作するための費用に供する目的で割引いたものであるから、被告人阪田の債務ではないと主張する。よって検討するに、被告人阪田の当公判廷(昭和三九年一月二三日)における供述及び検察官に対する昭和三二年七月二二日付、同月二三日付の各供述調書、被告人前田の検察官に対する昭和三一年一二月二〇日付供述調書、阪田関係第一五回公判調書(昭和三五年二月一五日)中証人吉田裕彦の供述部分、海老沢正夫の検察官に対する昭和三一年一二月二二日付第二回供述調書、稲井田隆の検察官に対する供述調書を総合すると、次の事実が認められる。即ち、昭和三一年二月二七日頃から第一相互銀行に対して大蔵省銀行局検査官の臨店検査が始まったが、この段階で同銀行の被告人阪田に対する貸付金約二億六、〇〇〇万円が焦付いていた。そこで、被告人らは協議のうえ、検査官の眼を逃れるために、被告人阪田において検査中だけ一時他から資金を調達して右貸付金の返済にあてることにした。被告人阪田は、右資金の調達を吉田裕彦に依頼し、そのための費用や手当等として被告人阪田が振出し第一相互銀行が支払保証をした約束手形を交付した。吉田裕彦は右約束手形を他で割引いて右費用や手当等としたうえ、平和相互銀行や森脇将光等からの資金借入を斡旋した。訴因番号61及び62の各貸付は、右約束手形を決済するためになされたものである。従って、右資金の調達は被告人らの各責任の追求を逃れるためになされたものであり、右約束手形も右資金を調達するために被告人阪田の責任において振出交付したものであるから、右約束手形を決済するための本件各貸付も被告人阪田に対する貸付といわねばならない。

(三)  次に、弁護人は、本件貸付行為全般について、被告人らはこれによって第一相互銀行に対し何ら財産上の損害を加えておらず、また被告人阪田には同銀行に損害を生ぜしめるとの認識がなく、同被告人は背任罪の共犯者としての犯意を欠くものであると主張する。

しかしながら、前掲各証拠によれば、昭和三〇年に入ると第一相互銀行の資金状態は更に悪化していた。また、被告人阪田に対する本件貸付金は、その一部が事業に使用されたのみで大部分は消費的な用途に費消され、しかも右事業には収益をあげるという確実な見込がなく、本件貸付金が相当期間内に回収されるという見通は全くなかった。そして、被告人阪田に対する本件貸付金の固定と他の同種不良貸付金の固定が原因で、本件訴因番号65の貸付が行なわれた昭和三一年六月一八日頃には、第一相互銀行は前述のとおり預金の払戻ができなくなり、他より多額の援助資金を仰がねばならなくなった事実を認めることができる。

従って、被告人らは本件貸付行為においても、第一相互銀行に対し資金を枯渇させる財産上の損害を加えたものといわなければならない。

また、弁護人は、本件貸付には充分な物的担保があり、これに被告人阪田の人的信用及び資力を考え併せると、本件貸付金が回収不能の状態にあったとは到底いえないと主張するのであるが、おおよそ貸付金回収の確実性を判断するうえにおいては、借受側の人格、資力、担保と共に、事業経営の手腕及び当該事業の見通等を総合して判断しなければならない。

本件では、前掲各証拠を検討すると、

(1) 第一相互銀行の被告人阪田に対する貸付金残高は本件貸付金を含めて、昭和三〇年四月一八日現在で一億三、三〇〇万円、昭和三一年六月一八日現在で三億四、二三五万七、八六〇円であった。なお、弁護人は右貸付残高からは被告人阪田が第一相互銀行のために立替えた金と同銀行になした無尽掛金を除外すべきであると主張し、また被告人阪田は昭和三二年七月一二日付作成の明細表で第一相互銀行に対する立替金が三、六七〇万円、無尽掛金が五一八万円あったと述べているので、右立替金の内容に疑問はあるがこれをそのまま除外しても、昭和三一年六月一八日現在の貸付金残高は三億四七万七、八六〇円であった。

(2) これに対して、被告人阪田が第一相互銀行のために設定した根抵当権の元本債権限度額は昭和三〇年四月一八日現在及び昭和三一年六月一八日現在共に九、七〇〇万円に過ぎず(但し、これは登記のなされた日付を規準とする)、右担保物件に対する銀行評価は一億七、四三六万九、四八〇円であった。

(3) 一方、被告人阪田は事業経営の経験と手腕に乏しく、また本件貸付金のうち厳格に事業のために使われたといえるものは極く一部であり、その事業計画というのも事務所出入の者が持込んだもので収益をあげるという確実性を欠いていた事実が認められる。

これらの事実を総合すると、本件貸付行為によって第一相互銀行には資金回収不能の危険が生じたものといわざるを得ず、右危険は銀行の信用取引上許された危険ということはできず、財産上の損害たる危険といわなければならない。

そして、被告人阪田の公判廷における供述及び検察官に対する各供述調書によると、同被告人は本件当時第一相互銀行の資金量が不足し、同銀行が資金繰に追われていたことを認識し、且つ自分が本件貸付金を相当期間内に返済することは不可能な状態にあったことを認識していたこと、また同被告人が銀行側の被告人以上に自分の事業内容や貸付金の使途等を認識していたことは明らかであり、これに同被告人の検察官に対する昭和三二年七月一九日付供述調書中「昭和三〇年六、七月頃、被告人堀口貫道、同渡部、同前田らに『阪田さんのところはもう行過ぎだから新規の貸付は控えさせてくれ、そして旧貸付はできるなら担保の不動産を処分するなりして返済してくれ』といわれた」旨の供述記載を考え併せると、被告人阪田が本件貸付によって第一相互銀行に前記のような財産上の損害を生ぜしめることを認識していたことは明らかであるといわなければならない。

(四)  また、弁護人は、被告人前田は被告人堀口貫道、同渡部に命じられるまま本件貸付の事務手続を行なったに過ぎないのであって、共同正犯の責任を負うものではなく、精々従犯として責を負うに止まると主張する。

確かに、前掲各証拠によれば、被告人前田は貸付課長時代当該借受人の無尽掛金限度内で三〇万円以下の貸付についてのみ専決権を有していたに過ぎず、その余の貸付については被告人堀口貫道、同渡部が決裁権を有していたものであり、本件貸付も被告人堀口、同渡部が決裁し、被告人前田は同被告人らの命を受けてその事務手続を行なっていたものであることが明らかである。

しかしながら、背任罪の成立には必ずしも自己が単独の意思をもってその事務を左右する権限を有する事務に限られない。たとえ他にその事務の遂行につき指揮監督その他決裁の権限を有する者があっても、その事務が自己の担当する事務の範囲内に属する以上は、これに関し背任の行為があれば背任罪は成立する。そして、本件貸付は被告人前田の担当する事務の範囲内に属し、同被告人は被告人堀口貫道、同渡部の補助機関として同被告人らの決裁とあいまって共同の意思で第一相互銀行の被告人阪田に対する貸付事務を処理したのであるから、被告人前田は本件背任罪の共同正犯といわなければならない。

(法令の適用)

被告人堀口貫道、同渡部の判示第一、第二の各所為はそれぞれ包括して刑法第六〇条、商法第四八六条第一項に該当するものでいずれも所定刑中懲役刑を選択し、右は刑法第四五条前段の併合罪なので同法第四七条本文、第一〇条によりいずれも犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で、被告人堀口貫道を懲役三年に、被告人渡部を懲役二年にそれぞれ処する。

被告人前田の判示第二の所為は包括して刑法第六〇条、商法第四八六条第一項に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を懲役一〇月に処する。

被告人堀口秀真の判示第一、被告人阪田の判示第二の各所為はそれぞれ包括して刑法第六五条第一項、第六〇条、商法第四八六条第一項に該当するが、同被告人らには会社内の身分がないので刑法第六五条第二項により同法第二四七条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号の刑を科することとし、所定刑中いずれも懲役刑を選択して被告人堀口秀真を懲役二年に、被告人阪田を懲役一年六月にそれぞれ処する。

但し、情状により被告人らに対しいずれも刑法第二五条第一項を適用して、本裁判確定の日から被告人貫道に対しては四年間、被告人渡部、同堀口秀真、同阪田に対してはいずれも三年間、被告人前田に対しては一年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文第三項記載のとおり当該被告人の負担とする。

(無罪部分の理由)

第一、株式会社大晶関係(昭和三二年特(わ)第二七六号、同年七月三〇日付起訴状)

一、右起訴状記載の事実には、判示第一で有罪と認めた事実の外に、

被告人堀口貫道、同渡部、同堀口秀真は共謀のうえ、株式会社大晶の利益を図る目的をもって、被告人堀口貫道、同渡部においてその任務に背き、前記第一相互銀行本店において、

左掲大晶関係貸付一覧表記載のとおり、前後五二回に亘り株式会社大晶に対し同銀行の資金一億一、三三四万九、八三〇円を貸付け、もって同銀行に対し同額の財産上の損害を与えたものである。

という事実が含まれている。

大晶関係貸付一覧表 ≪省略≫

二、訴因番号4、5の各貸付行為について

よって、右以下公訴事実について検討するに、右貸付一覧表のうち訴因番号4の昭和二九年五月一三日付株式会社山兼商店名義二一一万九、七四〇円、訴因番号5の同月一四日付同名義一四三万一、九九〇円の貸付については、本件全証拠を検討するも、第一相互銀行より大晶に対して右の日時に右貸付名義をもって右の資金が現実に貸出交付されたことはもとより、書類上で形式的に右貸付のなされた事実もまたこれを認めることができない。

右は、判示第一で有罪と認めた一年後の訴因番号77の昭和三〇年五月一三日付同名義二一一万九、七四〇円、訴因番号78の同月一四日付同名義一四三万一、九九〇円の各貸付の年次を誤って昭和二九年としたものではないかと思われる。

従って、右訴因番号4、5の各貸付行為についてはその存在の証明を欠くものという外ない。

三、訴因番号1、9、15ないし34、36、42ないし44、48ないし51、55ないし58、70、71、74、81の各貸付行為について

(一) 右訴因番号の各貸付は、細谷晃一作成昭和三一年一一月二九日付答申書添付の大晶関係取引状況表(以下細谷A表と略称する)及び同人の検察官に対する同年一二月一一日付供述調書添付の株式会社大晶関係未返済貸付金明細表(以下、細谷B表と略称する)並びに押収してある第一相互銀行管理課作成の貸付金明細表(昭和四〇年押第二三四号の二)によると、いずれも第一相互銀行の貸付元帳に記載されているものであることが認められるのであるが(但し、訴因番号36の貸付は後に述べるとおり昭和三〇年一月六日付で記載されている)

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

第一相互銀行は、昭和二五年頃のマーガレット商会時代から大晶に対し資金の貸付を行なっていたが、右貸付金は次第に増大且つ固定して来た。そして、昭和二七年、二八年の二回に亘り大蔵省銀行局により臨店検査をされた際、検査官から右貸付は情実による不良貸付と判定され、早急に回収整理するよう注意された。しかし、第一相互銀行は大晶に対し名義を変えて貸増をするかたわら、主として右大蔵省銀行局の追求を逃れる目的で、大晶から実際上の返済がないにもかかわらず、貸付元帳には相当期間内に返済があった如く記入し、大晶から新たな借入申込書を提出させる等して元帳上に利息を加算したほぼ同額の新貸付を起すという方法で旧貸付を新貸付に書替え、大晶に対する貸付金が固定していないように装った。その際、新貸付と旧貸付の同一性を隠蔽するために、貸付名義を切替え、あるいは一個の旧貸付を数個の新貸付に分割し、数個の旧貸付を一個の新貸付に併合するなどの粉飾方法を用いた。

また、右のように貸付元帳の上でのみの書替の外に、大晶関係の会社名、個人名(以下、これらを含めて単に大晶と略称する)振出の他行宛小切手を旧貸付金の返済として第一相互銀行に振込ませ、未だ取立済にならない右小切手をもって旧貸付を決済したうえ、大晶に対して新貸付を起してその貸付金として第一相互銀行振出の自己宛(以下、預手と略称する)または他行宛の小切手を交付し、これを旧貸付金の返済として振込まれた大晶振出小切手の支払銀行に振込ませて右大晶振出小切手を決済させた。

あるいは、右と同じように大晶振出しの他行宛小切手を第一相互銀行に振込ませて旧貸付を決済したうえ、右小切手を落すためにその支払銀行に大晶振出第一相互銀行宛の小切手を振込ませ、次に大晶に対する新貸付を起してその貸付金を大晶関係の当座口に振替入金し、交換を廻って来た第一相互銀行支払の小切手を決済し、結局は旧貸付の返済として第一相互銀行に振込まれた他行宛小切手を落すという、後に第三のスチール関係で詳述する相落小切手を用いて貸付の書替を行なっていた。

以上のように、第一相互銀行の貸付元帳には旧貸付を書替えたに過ぎない貸付が混入していることが認められるのであるが、当裁判所は次に述べるような理由により前記訴因番号の各貸付はいずれも右のように旧貸付を書替えたに過ぎない貸付、あるいはその疑いの濃厚な貸付であって新規貸付と認める証明が十分でないものと考える。(従って、厳格な意味においては、貸付あるいは貸付行為と称することは妥当ではないが、ここでは便宜上その外観をとらえ貸付あるいは貸付行為と呼ぶことにする。阪田関係スチール関係等においても同様である。)

(二) 訴因番号1の昭和二九年四月五日付東京レアメタル株式会社名義五二〇万円の貸付については、細谷B表によるとその貸付金として第一相互銀行振出富士銀行宛額面五二〇万円の小切手が交付されておりまた借用証(昭和四〇年押第二三四号の五)も徴されているのであるが、田村雅明作成昭和三一年一二月二七日付答申書によると大晶の借入元帳には当日東京レアメタル株式会社名義で三〇〇万円、鷲田宏名義で二二〇万円計五二〇万円の返済が記帳され、また細谷A表によると第一相互銀行の貸付元帳には昭和二九年四月三日付で右計五二〇万円の返済が記帳されていることが認められる。従って、本貸付は四月三日付計五二〇万円の返済に対応する旧貸付の書替と認められ、右第一相互銀行振出富士銀行宛の小切手は右返済として入金された大晶振出他行宛小切手を落すためのものと考えられる。

≪中略≫

(三) 以上のように、本項表題に掲げた各訴因番号の貸付は、いずれも旧貸付の書替、あるいはその疑いの濃厚なもので新規貸付と認めるに足りる証拠の不十分なものであるが、それでは右貸付によって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたといえるか否かについて検討する。

右各貸付は、その貸付金が大晶側に交付されたか否か明らかでないもの、即ち貸付金の交付されていない疑いのあるものと、貸付金として第一相互銀行振出他行宛小切手が交付されているもの、そして第一相互銀行振出自己宛小切手(預手)が交付されているものの三つに分類できる。

まず、貸付金が交付されていない疑いのある貸付についていえば、貸付金が交付されていない以上、たとえ帳簿上で旧貸付に替えて新貸付が起されたとしても、それによって銀行に貸付金相当額の財産上の損害を加えたといえないことは明らかである。

次に、貸付金として第一相互銀行振出の他行宛小切手が交付されているものについていえば、先に説明したとおり右小切手は旧貸付の返済として第一相互銀行に入金された大晶振出他行宛小切手(これは名義が大晶自体というのではなく、たとえば常生産業株式会社、三市商事株式会社等大晶関係の名義で振出されたものを指す、以下同じ)を落すために交付されたものである。即ち、旧貸付の返済として入金された大晶振出の小切手の支払銀行には、最初から大晶の預金がないかあるいは不足しているので、右小切手はそのままでは不渡りになるのであるが、書替の一手段として右小切手を直ちに入金と認めたうえ第一相互銀行と大晶が連絡をとって右支払銀行に第一相互銀行振出他行宛小切手を振込んで、右大晶振出の小切手を落していたわけである。従って、貸付金として第一相互銀行振出の他行宛小切手が交付されたとしても、それは旧貸付の返済として入金された大晶振出の小切手を落すためのものであり、結局は旧貸付に対する返済金そのものということになるのであるから、第一相互銀行の資金が大晶側に流れたということにはならないし、第一相互銀行の資金に変動を生じたことにならず、単なる書類上での書替の場合と同様、右貸付によって同銀行に対し貸付金相当額の財産上の損害を加えたことにはならない。

また貸付金として第一相互銀行振出の自己宛小切手(預手)が交付されたものについて考えるに、これは旧貸付の返済として入金された大晶振出他行宛小切手を落すため直接その支払銀行に振込むためのものと、旧貸付の返済として入金された大晶振出他行宛小切手の見合としてその支払銀行に振込まれた大晶振出第一相互銀行宛の小切手を決済するために、第一相互銀行における大晶関係(たとえば常生産業株式会社、三市商事株式会社)の当座預金に入金するためのものとの二つに分れる。

前者については、先に述べた第一相互銀行振出の他行宛小切手が交付された場合と同様のことがいえる。

そこで、後者の場合について考えるに、右預手は旧貸付に対する返済として入金された大晶振出他行宛小切手を落すためその見返りとして右支払銀行に振込まれた大晶振出の第一相互銀行宛小切手(即ちこれは後にスチール関係で詳述する相落小切手である)を決済するためのものであり、引いては旧貸付に対する返済として入金された大晶振出他行宛小切手を落すためのものであり、結局は前記第一相互銀行振出の他行宛小切手が交付された場合と同様、旧貸付に対する返済金そのものということになる。従って、単なる書類上の書替の場合と同様、第一相互銀行の資金が大晶側に流れたことにならないし、第一相互銀行の資金に変動を生じたわけではないので、右貸付によって同銀行に対し貸付金相当額の財産上の損害を加えたとはいえない。

(四) それでは、右のように旧貸付を新貸付に書替えること自体が第一相互銀行に対し何らかの財産的損害を加えたかというに、書替前の旧貸付も書替後の新貸付も書替当時においてはその財産的価値に差異は認められず、また書替によって特に回収不能の危険性が高まったものとも認められないので、書替自体によって財産上の損害を加えたということもまたこれを否定しなければならない。

(五) 結局、本項表題に掲げた訴因番号該当の各貸付行為は、それによって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたものと認められないので、その余の検討をまつまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

なお、右貸付の起源ともいうべき当初の実質的貸付金の交付を伴った貸付行為の背任性が問題になる余地があるように考えられるけれども、右は本件訴因として構成されておらず、また検察官は当裁判所の釈明に答えて本件訴因を維持し他の訴因に変更する意思のないことを言明しているので、ここでは特にこの点について触れないこととする。この点は後述する第二の阪田関係無罪部分二及び三、第三のスチール関係無罪部分五についても全く同様であり、また第三のスチール関係無罪部分六及び第四の三光関係における当座貸越に関するものについても同様であるが、特に当該箇所で繰返し言及することを省略する。

四、訴因番号6の貸付行為について

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

判示第一で述べたように、大晶は昭和二七年一〇月一六日株式会社幸楽名義で合資会社幸楽会館から東京都千代田区永田町二丁目所在の二九番の三の宅地二、〇二八坪三合二勺の所有権を取得しその登記を経由した。またその頃、大晶は同じく株式会社幸楽名義で日米通商株式会社等から右土地上の建物五棟の所有権を取得した。そして、第一相互銀行のため昭和二八年九月一八日、同年一〇月一四日の二回に亘り右土地建物に根抵当権を設定しその登記を経由した。

また、第一相互銀行は昭和二七年一〇月三日頃日米通商株式会社から同所二二番及び二九番の六の宅地六五八坪九合並びにその上の建物三棟の所有権を取得した。

ところでこれより先、日米通商株式会社は法人税を滞納していたため、麹町税務署長は昭和二七年三月一三日頃国税徴収法に基づき後に株式会社幸楽が所有権を取得し第一相互銀行が根抵当権を設定した前記二九番地の三所在の建物のうち日米通商株式会社名義であった建物と、後に第一相互銀行が所有権を取得した前記二二番及び二九番の六の宅地六五八坪九合並びにその上の建物三棟を差押えたうえ、同月二九日右差押を登記した。

そこで、被告人堀口秀真は右日米通商株式会社の滞納税のうち一二一万二、七六三円を支払うため被告人堀口貫道、同渡部に対し、第一相互銀行の資金を大晶に対して貸付けてくれるよう申込み、被告人堀口貫道、同渡部は昭和二九年六月四日大晶に対し一二五万円の貸付を起し、その貸付金として額面一二一万二、七六三円の第一相互銀行振出自己宛小切手を交付した。これが本訴因番号の貸付である。

(二) 以上のように、右貸付は日米通商株式会社の滞納税を支払うためになされたものであるが、日米通商株式会社の滞納税を支払うことにより、大晶は株式会社幸楽名義で取得した二九番地の三の建物の所有権を確保できるという利益を有し、一方第一相互銀行の方は右建物に対する根抵当権を確保できると共に、右建物と共に差押えられている前記二二番及び二九番の六の宅地並びにその上の建物に対する所有権を確保できるという利益を有する関係が認められ、被告人らの右貸付行為の目的は大晶の利益を図ると同時に第一相互銀行の利益を図ることにあり、右二つの目的の間には主従の差はなかったものと認められる。また、右貸付行為は被告人堀口貫道、同渡部の任務に背くものでもないと解される。

(三) 従って、本貸付行為は背任罪の構成要件である図利加害の目的と背任性とを欠くものというべきである。

五、訴因番号7、8、11、12の各貸付行為について

(一) 訴因番号7の昭和二九年七月二六日付株式会社大晶名義四〇〇万円、同8の同月二七日付同名義四〇万円、同11の同年八月四日付同名義一〇〇万円、同12の同月三一日付同名義一〇〇万円の各貸付については

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

前記永田町二丁目所在二九番の三宅地二、〇二八坪三合二勺の所有者であった合資会社幸楽会館は、昭和一八年八月一三日頃佐藤雄次郎に対し、右宅地のうち約一〇二坪七合九勺の土地及びその上の居宅一棟を無償で譲渡した。しかし、右一〇二坪七合九勺の土地については分筆登記をすることなく登記面では従前のままであった。

そして、前記のとおり大晶は昭和二七年一〇月一六日株式会社幸楽名義で合資会社幸楽会館から右二、〇二八坪三合二勺の土地の所有権を取得しその登記を経由し、第一相互銀行のため昭和二八年九月一八日及び同年一〇月一四日右土地に根抵当権を設定しその登記を経由した。

被告人堀口秀真は、右二、〇二八坪三合二勺の土地に対する大晶の権利を完全ならしめるため、昭和二九年二月二四日頃仲介者を交えて右佐藤雄次郎と協議し、大晶が同人に五〇〇万円を支払い同人は右約一〇二坪七合九勺の土地に対する権利を放棄して同所から立退くことになった。

かくして、被告人堀口秀真は右佐藤雄次郎に対する右五〇〇万円及び仲介者に対する謝礼金一〇〇万円等を支払うため、被告人堀口貫道、同渡部に対し、第一相互銀行の資金を大晶に対して貸付けてくれるよう要請し、被告人堀口貫道、同渡部は大晶に対し同年七月二六日、同月二七日、同年八月四日、同月三一日ら四回に亘り計六四〇万円の貸付を行なった。

なお、右六四〇万円のうち、佐藤雄次郎及び仲介者に対する支払金六〇〇万円を差引いた残四〇万円の使途については明らかでないが八月三一日付の貸付に対する借入金申込書(昭和四〇年押第二三四号の一四)に「幸楽関係債権確保の為の貸出、税金」との記載があり、何らかの税金や銀行利息等がこれに含まれているのではないかと考えられる。

(二) 以上のように、右各貸付は右宅地二〇二八坪三合二勺のうち約一〇二坪七合九勺に対する佐藤雄次郎の一切の権利を放棄させ同所から同人を立退かさせるためになされたものであるが、それによって大晶は右約一〇二坪七合九勺の土地に対する完全なる支配権を得ると共に右二〇二八坪三合二勺の土地全体の価値を高めることができるという利益を得、第一相互銀行の方もそれに伴って右土地に対する根抵当権の実際上の価値を高められるという利益を得る関係が認められ、従って被告人らの右貸付行為の目的は大晶の利益を図ると同時に第一相互銀行の利益を図ることにあったと認められる。そして、大晶に対し右土地の価格以上の債権を有する第一相互銀行が右土地に対する制限障害を省くことによって得る利益は、大晶のそれによって得る利益に劣るものとは考えられず、被告人らの右二つの目的の間に主従の差を認め難い。

(三) 従って、本各貸付行為は背任罪の構成要件である図利加害の目的を欠くものというべきである。

六、訴因番号85、86、87、90の各貸付行為について

(一) 第一相互銀行は判示第一で述べたとおり、大晶に対する貸付金の担保として株式会社幸楽名義の宅地二、〇二八坪三合二勺及びその上の建物八棟の上に根抵当権を有していたが、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、訴因番号85の昭和三一年四月一八日付株式会社幸楽名義一二万二、〇九〇円の貸付は、第一相互銀行が大晶の依頼により同額の株式会社幸楽の昭和三〇年度第二期の固定資産税を東京都に支払うためになされたものである。

訴因番号86の昭和三一年四月二八日付同名義三六万六、三三〇円の貸付は、前同様同額の同会社の昭和三〇年度第一期、第三期、第四期の固定資産税を支払うためになされたものである。

訴因番号87の昭和三一年四月二八日付同名義一二万二、一二〇円の貸付は、前同様同額の同会社の昭和三一年度第一期の固定資産税を支払うためになされたものである。

訴因番号90の同年五月二二日付同名義二九万七、五五〇円の貸付は、前同様同額の同会社の昭和二八年度第一期ないし第四期の固定資産税を支払うためになされたものである。

(二) 以上のように、右各貸付はいずれも株式会社幸楽の固定資産税を支払うためになされたものであり、被告人三名がこれに関与していることも明らかであるが、これによって大晶は勿論同額の金融の利益を得る。一方、第一相互銀行は右株式会社幸楽名義の土地建物のうち、建物三棟は昭和二五年六月六日元本債権限度額一五〇万円、土地及び建物五棟に昭和二八年九月一八日及び同年一〇月一四日元本債権限度額計二億九、九三八万三、〇六〇円の各根抵当権の設定を受けており、地方税法の規定により、右土地及び建物五棟について昭和二八年度第一期及び第二期の固定資産税に優先される外は、第一相互銀行の根抵当権の方が右固定資産税に優先するのであるが、優先額には制限があり、もし右土地建物について強制換価処分をされれば、右根抵当権の債権限度額以上の債権を有する第一相互銀行が損害を受けることは明らかであり、同銀行としても右固定資産税を支払うについて利益を有していたことが認められる。従って、被告人らの右貸付行為の目的は大晶の利益を図ると共に第一相互銀行の利益を図ることにあったと認められ、そして右二つの目的の間に主従の差はなかったものと認められる。また、右貸付行為が被告人堀口貫道、同渡部の任務に背くものとも解されない。

(三) 従って、本各貸付行為は背任罪の構成要件である図利加害の目的と背任性とを欠くものというべきである。

七、訴因番号84の貸付行為について

(一) 訴因番号84の昭和三一年三月三一日付株式会社幸楽名義一六七万三、〇〇〇円の貸付については、

≪証拠省略≫を総合すと、次の事実が認められる。

被告人堀口貫道、同渡部は、第一相互銀行の資金不足を補うために昭和三〇年一二月二二日清水建設株式会社の関係会社である丸喜不動産株式会社の定期預金一億円を同銀行に受入れ、昭和三一年三月三一日右元本一億円と正規の銀行利息一〇五万四、〇〇〇円を第一相互銀行振出自己宛小切手で支払うと共に、現金で右預金の謝礼金一六七万三、〇〇〇円を支払った。

その際、右預金謝礼金の支払は銀行の正規の経費に計上できないため、被告人堀口貫道、同渡部は銀行に保管されていた株式会社幸楽の印を利用し、同会社に対し一六七万三、〇〇〇円の貸付を起して右預金謝礼金の支払資金を捻出した。これが訴因番号84の貸付である。

(二) 従って、右貸付行為は外形上は株式会社幸楽に対する銀行資金の融資という形をとっているものの、その実体は預金謝礼金の支払資金の捻出行為であり、大晶に対する融資(授信)行為ではない。即ち、右貸付は被告人堀口貫道、同渡部が預金謝礼金を支払うため、第一相互銀行の資金を自分達の自由に処分し得る状態に置くための手続の偽装手段である。

そうだとすれば、右貸付行為の目的が大晶の利益を図るためでないことは明らかである。

それでは、第一相互銀行に対し損害を加える目的のもとに行なわれた行為かというに、右預金一億円の受入れ目的の詳細が不明なので必ずしも明らかでないが、同銀行の資金繰りのためとすれば同銀行に対し損害を加える目的のもとに出た行為とも認め難い。

(三) 従って、本貸付行為は背任罪の構成要件である図利加害の目的を欠くものというべきである。

なお、右貸付行為と一体をなす裏利息支払行為自体の違法性も一応問題であるが、これを問擬するためには少くとも訴因の変更が必要であり、検察官は本件貸付の訴因を維持する旨言明しているので、ここではこの点について触れないこととする。この点は、後述第二の阪田関係無罪部分四、第三のスチール関係無罪部分七についても同様であるが、繰返し言及することを省略する。

八、以上のように、前記一に記載した事実については総て犯罪の証明がないものとして、被告人堀口貫道、同渡部、同堀口秀真に対して無罪を言渡すべきところ、右は判示第一の事実(包括一罪)の一部として起訴されたものと認められるので、主文において特に無罪の言渡をしない。

第二、阪田誠盛関係(昭和三二年特(わ)第二七七号、同年七月三〇日付起訴状)

一、右起訴状記載の事実には、判示第二で有罪と認めた事実の外に、

被告人堀口貫道、同渡部、同前田、同阪田は共謀のうえ、被告人阪田の利益を図る目的をもって、被告人堀口貫道、同渡部、同前田においてその任務に背き、前記第一相互銀行本店において、左掲阪田関係貸付一覧表記載のとおり前後三九回に亘り、被告人阪田に対し同銀行の資金一億六、九二九万八、〇〇〇円を貸付け、もって同銀行に対し同額の財産上の損害を加えたものである。

という事実及び訴因番号34として、

被告人前田は、右同様被告人堀口貫道らと共謀のうえ、昭和三一年五月一〇日頃被告人阪田に対し東一物産株式会社名義で同銀行資金一八三万円を貸付け、もって背任行為をしたものである。

との事実が含まれている。

阪田関係貸付一覧表 ≪省略≫

二、訴因番号1、4、5、6、14、15、17、19の各貸付行為について

(一) 右訴因番号の各貸付は、細谷晃一作成昭和三一年一一月二九日付答申書添付の阪田誠盛関係取引状況表及び押収してあるカード式貸付元帳(昭和三九年押第四五七号の六八)並びに押収してある茶封筒入貸付関係書類によると、いずれも被告人阪田側から借入申込書が提出されており且つ第一相互銀行の貸付元帳に記載されているものであることが認められるが、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

第一相互銀行の被告人阪田に対する貸付は、判示のとおり、昭和二九年五月八日から始まり、次第に増大且つ固定して行ったが、右貸付金が固定していないよう装うため、あるいは判示相互銀行法、大蔵省銀行局通達による同一債務者に対する融資額の制限の超過を隠蔽するため、被告人阪田から実際の返済がないにもかかわらず、貸付元帳には相当期間内に返済があった如く記入し、同被告人から新たな借入申込書を提出させる等して元帳上に利息を加算したほぼ同額の新貸付を起すという方法で旧貸付を新貸付に書替え、その際併せて貸付名義を切替えたり、あるいは一個の旧貸付を数個に分割し、数個の旧貸付を一個に併合したりした。

本項表題に掲げた訴因番号の各貸付は、いずれも右のような旧貸付の書替えられたもので貸付金の交付を伴わない貸付、あるいはその疑いの濃厚な貸付であって新規貸付と認める証明が十分でないものと認められるものであり、その書替直前の旧貸付及び返済状況は上に掲げる阪田関係書替状況表その一のとおりである。

阪田関係書替状況表 その一≪省略≫

(二) それでは、右貸付行為によって第一相互銀行に財産上の損害を加えたといえるか否かについて検討するに、たとえ帳簿上で旧貸付に替えて新貸付を起したとしても、貸付金を交付していない以上、銀行に貸付金相当額の財産上の損害を加えたといえないことは明らかであり、また旧貸付も新貸付も書替当時においてはその財産的価値に差異は認められず、特に回収不能の危険性を高めたものとも認められないので、これによって銀行の既に有する貸付金返還請求権の財産的価値を減少せしめたものともいえない。

(三) 従って、本項表題に掲げた訴因番号の各貸付行為は、それによって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたものと認められないので、その余の検討をまつまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

三、訴因番号28、29、31ないし33、35ないし37、39ないし41、43ないし55の各貸付行為について

(一) 右各貸付については、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

昭和三一年二月二七日頃から第一相互銀行に対して大蔵省銀行局検査官の臨店検査が始まったが、この段階で同銀行の被告人阪田に対する貸付金約二億六、〇〇〇万円が焦付いていた。そこで、これに対する検査官の追求を逃れるためと検査中の銀行手持現金をふやすため被告人四名は協議のうえ、第一相互銀行が支払保証をした約束手形を基に被告人阪田において検査中だけ他から一時資金を調達して右貸付金の返済に当て、検査後再び被告人阪田に対して貸付を起し右調達資金を返済することになった。

被告人阪田は、第一相互銀行が支払保証した金剛機械株式会社振出名義の約束手形を担保に、昭和三一年三月一六日頃森脇将光から五、〇〇〇万円の貸付を受けて一ヶ月分の利息約六八〇万円を天引きされた額を受取り、また同月一七日頃より同月二三日頃まで一七回に亘り平和相互銀行から合計六、九五〇万円の貸付を受けて利息を天引きされた額を受取った。被告人らは、これを左に掲げる阪田関係書替状況表その二記載のとおり、同月一五日付海老沢冨美名義五二〇万円から同月二三日付松田律子名義五二〇万円まで計二四口の返済にあてた。その後被告人阪田は同じく第一相互銀行が支払保証した金剛機械株式会社振出名義の約束手形を担保に某会社から五、〇〇〇万円を借受け、これで右森脇将光からの借入金を返済した。

そして、被告人堀口貫道、同渡部、同前田は被告人阪田に対し、左の一覧表記載のとおり、同年五月一日付金剛機械株式会社名義一、一九〇万円から同月一六日付細谷良名義四七〇万円まで計一三口合計金六、九五〇万円の貸付を行ない、その貸付金を別段預金に振替え同額の第一相互銀行振出の自己宛小切手(預手)を取組んでこれを被告人阪田に交付した。被告人は、右預手で平和相互銀行からの借入金を返済した。また、銀行側被告人は被告人阪田に対して、左の表記載のとおり、同月二八日付で計一一口合計金五、〇〇〇〇万円の貸付を行ない、その貸付金を金剛機械株式会社名義の当座預金に振替入金した後、更に別段預金に振替えて同額の預手を取組み、これを被告人阪田に交付した。被告人阪田は、これで前記某会社からの借入金五、〇〇〇万円を返済した。

なお、平和相互銀行、森脇将光らからの借入金合計一億一、九五〇万円と第一相互銀行に対する返済金合計一億三五九万三、三七四円の差額は、平和相互銀行、森脇将光に対する利息及び平和相互銀行から右借入をするにつき同銀行に導入した預金に対する裏利息と考えられる。

阪田関係書替状況表 その二≪省略≫

(二) それでは、右貸付行為によって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたといえるか否かについて検討する。

右貸付行為によって預手の交付されている点のみをとらえれば、第一相互銀行は小切手金支払債務を負担することとなり、同銀行に貸付金相当額の損害が生じているといえるが、それによって同銀行は先に行なった金剛機械株式会社振出名義手形の支払保証の債務を免れるのであるから結局同銀行には損害が生じていないことになる。従って、損害の発生は手形金支払保証債務を負担したとき、即ち三月一五日頃から同月二三日頃までの旧貸付金の回収のときまでさかのぼらなければならない。そして、手形金支払の保証をしたときには、同銀行はその反対給付として旧貸付金を回収しているのであるから、このときも同銀行には損害が生じていないといわなければならず、結局損害は旧貸付を行なったときに発生しているものといわなければならない。即ち、これを要約すれば、本件貸付行為も先に述べた貸付の書替粉飾行為の一種であり、更に要約すれば後に支出することを予定して一時入金した金をその予定に従って支出したに過ぎず、これによって銀行に新たなる財産上の損害が生じていないものといわざるを得ない。(なお、これと同種の行為は大晶関係においても行なわれているのであるが大晶関係では起訴の対象となっていない。)

ただ、第一相互銀行は被告人阪田に対し右調達資金の利息支払資金を新たに貸付けているのであるから、その額から同銀行が右資金を運用することによって得た利益を差引いた額が新たなる損害として発生しているのであるが、これについては訴因が特定されていないので、ここでは問擬しないこととする。

(三) 結局、本件貸付行為もそれによって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたものと認められないので、その余の検討をまつまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

四、訴因番号56ないし60、63、64の各貸付行為について

(一) 訴因番号56の昭和三一年五月三〇日付東一物産株式会社名義五三万五、五〇〇円、同57の同年六月四日付同名義五三万五、五〇〇円、同58の同月五日付同名義一三一万五、〇〇〇円のうち三一万五、〇〇〇円、同59の同月六日付同名義七五万六、〇〇〇円、同60の同名義七五万六、〇〇〇円、同63の同日付金剛機械株式会社名義二〇〇万円、同64の同月一二日付東一物産株式会社名義二〇〇万円の各貸付については、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

被告人堀口貫道は、昭和三一年五月初め頃、前記第一相互銀行本店に被告人阪田を呼んで、判示第一で述べた永田町所在の土地上にホテルを建設する会社を設立するための出資金としたいので第一相互銀行に預金を導入してもらいたい旨依頼した。そこで、被告人阪田はその頃より同年六月初め頃に掛け、同銀行に約一億円の預金を導入した。そして、同被告人は第一相互銀行から同被告人に対して起された貸付金で右導入預金に対する裏利息を支払っていたが、右訴因番号の各貸付は右裏利息を支払うためになされたものである。

(二) 従って、右貸付行為は外形上は被告人阪田に対する銀行資金の融資という形をとっているものの、その実体は導入預金の裏利息支払資金の捻出行為であり、しかも右預金は被告人阪田に対する融資を見合としたものではないから、同被告人阪田に対する融資(授信)行為ではない。即ち、被告人堀口貫道において導入預金の裏利息を支払うため、第一相互銀行の資金を自分の自由に処分しうる状態に置くための手続の偽装手段であるに過ぎない。

そうだとすれば、右貸行為の目的が被告人阪田の利益を図るためでないことは明らかである。

それでは、他の第三者の利益を図り、あるいは第一相互銀行に対し損害を加える目的のもとに行なわれた行為かというに、右導入預金の使用目的について被告人堀口貫道が被告人阪田に語った内容がはたして真実であるのか否か速断できず、現段階では不明であるという外ない。

(三) 従って、本貸付行為は背任罪の構成要件である図利加害の目的の証明を欠くものというべきである。

五、訴因番号34の貸付行為について

訴因番号34の昭和三一年五月一〇日付東一物産株式会社名義一八三万円の貸付行為については、判示のとおり被告人堀口貫道、同渡部、同阪田の共謀による背任行為と認めたのであるが、同被告人らと共に共犯として起訴された被告人前田は、当公判廷(昭和三九年四月七日)及び検察官に対する昭和三一年一二月二〇日付供述調書において、同被告人は右貸付行為に全く関与していないと供述しており、これを覆し同被告人を共犯と認むべき証拠はない。

従って、右訴因番号34の貸付行為については被告人前田につき犯罪の証明を欠くものという外ない。

六、以上のように、前記一に記載した事実のうち、訴因番号58の貸付行為のうちの三一万五、〇〇〇円は判示第二で有罪と認めた同訴因番号の一〇〇万円と共に一三一万五、〇〇〇円の貸付行為の一部として起訴されたものであるから特にこの部分について無罪の言渡をせず、またその余の事実のうち訴因番号34の貸付行為を除いては被告人堀口貫道、同渡部、同前田、同阪田に対して、訴因番号34の貸付行為については被告人前田に対してのみ犯罪の証明がないものとして同被告人らに対し無罪の言渡をすべきところ、右は判示第二の事実(包括一罪)の一部として起訴されたものと認められるので、主文において特に無罪の言渡をしない。

第三、スチール工業株式会社関係(昭和三一年特(わ)第五八一号同年一二月一五日付起訴状、同年特(わ)第六〇六号同年一二月二六日付起訴状、昭和三二年特(わ)第二五六号同年七月一五日付起訴状)

一、公訴事実

右各起訴状記載の公訴事実は次のとおりである。

被告人堀口貫道は前記第一相互銀行の取締役社長として、被告人渡部虎雄は同銀行常務取締役として、いずれも預金、貸付等、同銀行の業務一切を統轄担当していたものであり、被告人前田彦は同銀行営業部貸付課長として、右被告人堀口貫道、同渡部等の命を受け、貸付に関する業務を分掌していたものであるが、いずれもその在職中、銀行資金の貸付に際しては、相手方の事業状態、資産及び信用程度を精査し、且つ確実十分な担保の供与を受ける等債権確保のため万全の措置を講ずべき職責があり、また同一人に対する貸付金額は相互銀行法第一〇条所定の限度内においてなすべき義務があるにもかかわらず、スチール工業株式会社の経理担当者である被告人直江秀次が右スチール工業株式会社のため事業資金の融資を依頼するや、被告人堀口貫道、同渡部、同前田はこれに応じ、被告人四名または被告人堀口貫道、同渡部、同直江の三名は共謀のうえ、右スチール工業株式会社の利益を図る目的をもって、同会社の業況、資産、信用状態が著しく不良であり既に昭和二八年一〇月以来の貸付金が約一〇億円に達しているため、更にこれに資金を貸付けても将来の回収はほとんど期待できず、右銀行の損害となることを予見しながら、被告人堀口貫道、同渡部、同前田において前記職責を尽さずして任務に背き、何等確実十分な担保をも差入れさすことなく、前記法令による貸付限度の制限を免れるため貸付先名義を旭農機産業株式会社外六八口に分割して、左掲スチール関係貸付一覧表記載のとおり、昭和三一年一月一二日頃より同年六月一五日頃までの間二一二回にわたり、前記第一相互銀行本店において、右スチール工業株式会社に対して同銀行資金合計一四億六、六〇二万三、四〇〇円を貸付け、もって同銀行に対し同額の財産上の損害を与えたものである。

スチール関係貸付一覧表 ≪省略≫

二、被告人らの身分関係について

よって、以下右公訴事実について検討するに、当時被告人堀口貫道は第一相互銀行取締役社長として、被告人渡部は同銀行常務取締役として、いずれも預金、貸付等同銀行の業務一切を統轄担当していたものであり、また被告人前田は昭和二八年八月一四日頃から昭和三一年四月五日頃まで同銀行貸付課長として、被告人堀口貫道、同渡部の命を受け貸付に関する事務を分掌していたものであることは、前判示有罪部分の冒頭で述べたとおりである。

また、被告人直江秀次の当公判廷における供述、スチール関係第一四、一五回公判調書(昭和三四年三月四日、同五日)中証人下谷福太郎の供述部分によれば、被告人直江は昭和二七年頃から当時鋼鉄製事務用品具の製造をしていたスチール工業株式会社(以下、スチール工業と略称する)の経理担当者となり、昭和二八年一〇月六日頃同会社のため第一相互銀行から八〇〇万円を借入れたのをはじめとして、次々と同会社のため同銀行から資金を借入れるようになり、昭和二九年三月頃からは同会社の資金繰全般を委され、引続き同銀行からの借入事務一切を担当していたものであることが明らかである。

三、訴因番号38の貸付行為について

そこで次に、右公訴事実の各貸付行為について検討するに、まず前記貸付一覧表のうち、訴因番号38の昭和三一年二月一日付立川図書株式会社名義一一〇万六、〇〇〇円の貸付についてであるが、本件全証拠を検討するも、第一相互銀行よりスチール工業に対し右の日時に右貸付名義をもって一一〇万六、〇〇〇円の資金が現実に貸出交付されたことはもとより、書類上で形式的に右貸付のなされた事実もまたこれを認めることができない。

ただ、細谷晃一の検察官に対する昭和三一年一一月二〇日付供述調書添付のスチール工業株式会社関係未返済金明細表のうち「昭和三一年二月一日、金額四〇〇万円、貸付名義立川図書株式会社」の欄に「内入レ、5/31、一、一〇六、〇〇〇」との記入があり、これと山田万作作成同月一日付答申書添付のスチール工業株式会社関係取引状況表を総合すると、右訴因番号38の一一〇万六、〇〇〇円の貸付は訴因番号18の四〇〇万円の貸付の一部と考えられる。

従って、右訴因番号38の貸付行為についてはその存在の証明を欠くものというの外はない。

四、訴因番号38以外の貸付一般について

次に、前記公訴事実の貸付一覧表中、訴因番号38以外の貸付一般について検討するに、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

即ち、第一相互銀行は、前記貸付一覧表記載の日時頃被告人直江外スチール工業社員から、当該貸付名義及び金額の借入申込書、借用証書等を徴し、同銀行の貸付元帳上に右各該当の貸付を記入すると共に、訴因番号107、113貸付を除いては当該貸付金額から利息や無尽掛金等を差引いた額を同銀行のスチール工業当座口に振替入金した。また、訴因番号107の貸付については当該日時頃貸付金額七〇〇万円のうち三二六万一一〇円は同銀行振出自己宛小切手(預手)で、残額は現金で、訴因番号113の貸付については貸付金額八五〇万円のうち四〇〇万円は同銀行振出自己宛小切手で、残額は現金で、それぞれこれを被告人直江に直接交付した。

ところで、第一相互銀行の右行為をもって直ちにスチール工業に対する資金の貸付行為といえるかどうかは問題である。しかし、少くとも外観的には貸付、しかも借用証書を証拠とする証書貸付の形式を具備しているので、ここでは便宜上貸付と呼ぶことにするが、以下右行為の実体を各訴因ごとに検討し、それが真の意味における貸付行為であるのか、あるいは単に貸付を偽装した行為に過ぎないのか、更にはそれが背任罪を構成するものであるのか等について考えていくことにする。

五、訴因番号1ないし37、39ないし52、54ないし89、98ないし106、120、121、123、124、126、129ないし139、141、143ないし147、152、153、155、158、168の各貸付行為について、

(一) 右訴因番号該当の各貸付行為が外観上存在し、しかもその貸付金がスチール工業当座口に振替入金されていることは、前記四において説明したとおりであるが、当裁判所は、右貸付は単に第一相互銀行のスチール工業に対する従前の貸付を書替えたものに過ぎず、これによっては第一相互銀行に対して財産上の損害を加えていないと考える。

即ち、検察官は、右貸付金がスチール工業の当座口に振替入金されている点をとらえ、第一相互銀行の資金がスチール工業に現実に貸出されているわけであるから、右貸付により同銀行に対し貸付金相当額の損害を加えたと主張するのであるが、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

第一相互銀行は、スチール工業に対し、昭和二八年一〇月六日八〇〇万円を貸付けたのをはじめとして、その後逐次貸増を続けるようになったが、昭和二九年に入ると貸付金の回収ができないため、大蔵省銀行局の銀行検査に備える等の目的で期限に現実の返済がないにもかかわらず、帳簿上あたかも返済があったように記入し、従来の借用証書を返還すると共に、新借用証書を徴して新らしく貸付を起すといういわゆる書替継続を始めた。

また、同銀行は、昭和二九年頃から大蔵省関東財務局に対する月一回の業務報告をする際、その内容を偽り健全な銀行経営を仮装する目的で、実際の状態よりも帳簿上の貸付残高を減らし支払準備金を増すために、右の書替継続と同様の方法により、返済期限未到来の貸付をも含め、月末には貸付金の回収があったように仮装したうえ、翌月初めに新らしく同額の貸付を起すという、いわゆる月末粉飾操作を始めた。更に、昭和三〇年夏頃からは、右大蔵省関東財務局に対する業務報告が一〇日ごとになったため、右のような粉飾操作を報告のたびに月中でも行なういわゆる月中粉飾操作を始めた。

そして、右のような粉飾操作を主として一番大口の貸付であるスチール工業に対する貸付について行ない、またこの間においてもスチール工業に対し右の書替や粉飾操作とは別個に、現実の資金貸出を伴ういわゆる原始貸付を行ない、更には後記七において詳述するように、銀行が預金者に支払った預金謝礼金等いわゆる裏利息をスチール工業に対する貸付として処理していたが、これらについても右と同様の書替継続や月中月末粉飾操作を行なっていた。

このようにして、スチール工業に対する原始貸付は、その後において書替継続や月中月末粉飾操作を混合して繰返されることにより、数個のものが一個の貸付に併合されたり、一個のものが数個の貸付に分割され、あるいは名義も別の名義に切替えられて外観上は全く別個の貸付に書替えられていったが、全体を一括してスチール工業に対する貸付として処理されていた。

以下、書替継続と月中月末粉飾操作を含めて単に書替と称することにするが、本項表題に掲げた各訴因番号該当の貸付は、いずれも右のような書替により起されたもので現実の資金貸出交付を伴わない貸付、あるいはその疑いの濃厚なもので原始貸付と認めるに足りる証拠の不十分な貸付であり、その書替直前の旧貸付及びその返済状況は次に掲げるスチール関係書替状況表のとおりである。なお、書替直前の貸付が原始貸付であるのか、あるいは更にそれ以前の貸付の書替によるものかは明らかでないが、その大部分は書替によるものと思われる。

スチール関係書替状況表 ≪省略≫

(二) 次に、前記訴因番号該当の各貸付が書替によるものであるということと、右貸付金がスチール工業の当座口に振替入金されているということとの関係を説明することにする。

前記(一)に掲げた証拠によると、右の書替にあたっては、第一相互銀行はスチール工業と連絡のうえ次のような方法をとっていたことが認められる。

即ち、書替前旧貸付の返済期限または大蔵省関東財務局に対する業務報告時期になると、第一相互銀行はスチール工業に指示連絡して、右貸付金相当額のスチール工業関係会社振出名義他行宛小切手を第一相互銀行に振込ませる。第一相互銀行は、未だ取立済にならないいわゆる未決済の右小切手をもって右旧貸付に対する返済と認め、右旧貸付を決済する。しかし、右小切手の支払銀行における右小切手振出名義の当座に預金があるわけではないので、そのままでは右小切手が支払銀行に回った場合預金不足で不渡りになる。そこで、スチール工業は右小切手の支払銀行における右小切手振出名義の当座口に同額のスチール工業振出第一相互銀行宛の小切手を振込む。そして、翌日の手形交換により、第一相互銀行に旧貸付金返済として振込まれた他行宛小切手はその支払銀行に、右支払銀行に振込まれた第一相互銀行宛小切手は同銀行の手に渡る。第一相互銀行は、スチール工業振出第一相互銀行宛の右小切手を落すため、スチール工業に対し新たな証書貸付を起し、その貸付金をスチール工業の当座口に振替入金して右小切手を決済する。第一相互銀行宛の小切手がこのように決済されたため、右小切手持出銀行のスチール工業関係会社の当座に預金ができて、第一相互銀行に貸付金の返済として振込まれた小切手も決済される。

以上の関係を例解すると、次のようになる。例えば貸付名義立川図書株式会社、金額一〇〇万円の貸付があったとする。これに対する返済として、スチール工業は昭和三一年一月三一日に立川図書株式会社振出A銀行宛金額一〇〇万円の小切手を第一相互銀行に振込む。第一相互銀行は、右小切手でもって右の貸付名義立川図書株式会社金額一〇〇万円の貸付を決済する。スチール工業は、A銀行の立川図書株式会社名義の当座口にスチール工業振出第一相互銀行宛金額一〇〇万円の小切手を振込む。そして、翌二月一日の手形交換により、A銀行宛の小切手は第一相互銀行からA銀行の手に、第一相互銀行宛の小切手はA銀行から第一相互銀行の手にそれぞれ渡される。第一相互銀行は、右小切手を落すためにスチール工業に対し(名義はスチール工業関係会社あるいは個人名)新たに金額一〇〇万円の貸付を起し、これをスチール工業の当座口に振替入金して右小切手を決済する。このようにして、第一相互銀行宛の小切手が決済されたため、A銀行における立川図書株式会社名義の当座に一〇〇万円の預金ができ、これでA銀行宛の小切手も決済される。

(三) 右のように、相落(または落々)小切手の振出によって証書貸付の書替を行なっていたのであるが、新貸付金の当座口振替入金は、書替前旧貸付に対する返済として入金された他行宛小切手を落すため、その見返りとして右支払銀行に振込まれた第一相互銀行宛小切手を決済するためのものに過ぎず、引いては旧貸付金の返済として入金された他行宛小切手を決済するためのものであり、結局は旧貸付に対する返済金そのものということになるのである。従って、帳簿上では新貸付金がスチール工業の当座口に振替入金されても、それは旧貸付の返済金であるから、スチール工業に対し現実に銀行資金が流れたということにはならない。検察官は、スチール工業の当座口に振替入金された以上、それはスチール工業の自由処分に委ねられたものであり、また第三者がこれを差押えれば、銀行としてはその払戻に応じなければならないものであると主張するが、振替入金と同時に自動的に小切手決済資金と化し、預金として残るものではないから、スチール工業の自由処分に委ねられたものとはいえないし、また差押云々の問題は生じない。

結局、書替によって新貸付が帳簿上起されても、それにより銀行資金財産に移動が生ずるわけではないので、右貸付により第一相互銀行に対し貸付金相当額の財産上の損害を加えたという公訴事実は否定しなければならない。

(四) それでは、右の書替行為自体によって第一相互銀行に対し何らかの財産上の損害を加えたかというに、前記第一の大晶関係無罪部分三の(四)記載と同様の理由によりこれを否定しなければならない。

(五) 結局、本項表題に掲げた訴因番号該当の貸付行為は、それによって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたものと認められないので、その余の検討をまつまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

六、訴因番号90ないし97、108、110、112、117の各貸付行為について、

(一) 右訴因番号該当の各貸付行為が外観上存在し、しかもその貸付金がスチール工業の当座口に振替入金されていることは、前記四において説明したとおりであるが、当裁判所は、右貸付は単に第一相互銀行のスチール工業に対する従前の当座貸越を証書貸付に切替えたものに過ぎず、これによっては第一相互銀行に対し財産上の損害を加えていないと考える。

即ち、検察官は、右貸付金がスチール工業の当座口に振替入金されている点をとらえ、第一相互銀行の資金がスチール工業に現実に貸出されているわけであるから、右貸付により同銀行に対し貸付金相当額の損害を加えたと主張するのであるが、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 前記五において説明したとおり、第一相互銀行は昭和二九年頃からスチール工業に対する証書貸付を相落小切手によって書替えていたが、右書替の際、旧貸付金に対する返済として振込まれた他行宛小切手を落すために、その見返りとして右支払銀行に振込まれた第一相互銀行宛小切手を決済するため、スチール工業に対する新貸付を起し、その貸付金をスチール工業の当座口に振替入金していた。ところで、旧貸付を新貸付に書替える際、両者を同一金額にしたのでは、それが単なる書替に過ぎないことが直ちに露見するし、また大蔵省に対する報告の関係でも貸付金を減少させた方が都合がよい。そこで、昭和三〇年頃から旧貸付金額よりも少額の新貸付を起してスチール工業の当座口に振替入金した。従って、これでは旧貸付金に対する返済として振込まれた他行宛小切手の見返りである第一相互銀行宛小切手を落すに足りないのであるが、資金不足のままで右小切手を落した。かくして、スチール工業の当座勘定はその差額だけ貸越となったが、第一相互銀行は何人とも事前に当座貸越契約を締結しておらず、スチール工業もその例外ではなかったので、右貸越はいわゆる過振り小切手支払のためのものであり、一時貸越または臨時貸越といわれるものであった。

以上の関係を前記五に掲げた例によって説明すると、次のようになる。スチール工業振出第一相互銀行宛金額一〇〇万円の小切手が交換を通して第一相互銀行に廻って来た際、第一相互銀行がスチール工業に対し金額六〇万円の新貸付を起してこれをスチール工業の当座口に振替入金しただけで、金額一〇〇万円の右小切手を落したとすれば、スチール工業の当座勘定は四〇万円の貸越になることになる。

(2) また、この間においても、第一相互銀行はスチール工業に対して右の書替とは別個に新規の営業資金を貸出していたが、銀行資金の不足のため昭和三〇年後半になると、スチール工業が自己の用途に供するために当座預金の残高を超えて振出したいわゆる過振りの第一相互銀行宛小切手の支払に応ずるという貸出方法を一部使い始めた。従って、そのためにもスチール工業の当座勘定は貸越となった。

(3) 更に、後記七において詳述するように、被告人直江は第一相互銀行側の依頼により、預金導入屋から預金を集めてこれを第一相互銀行に入れていたが、右導入預金に対する裏利息を支払うため、スチール工業振出第一相互銀行宛の小切手を第一相互銀行の店頭で現金化していた。これによってもまたスチール工業の当座勘定は貸越となった。

(4) 以上のように、スチール工業が第一相互銀行に対する借入金の返済、自己の取引先等への支払、導入預金に対する裏利息支払等のため、第一相互銀行宛の過振り小切手を振出し、第一相互銀行がその支払に応ずることにより、スチール工業の当座勘定は貸越となった。しかし、右貸越が当座勘定元帳の上に現われないようにするために、スチール工業は右過振り小切手の見返りとして第一相互銀行に対し他店券(他店宛小切手または約束手形)を振込んだ。(これを第一相互銀行側からみれば、同銀行は未だ取立済にならない未決済の他店券を見返りに、第一相互銀行宛の過振り小切手の支払をしていたことになるのであるから、これまで単に過振りと呼んでいたものはいわゆる他店券過振りである。)次に、右過振りの見返りとして振込んだ他店券の不渡りを防ぐため、その支払銀行に対し第一相互銀行宛の小切手を振込む。更に、第一相互銀行宛小切手を決済するために第二の他店券を振込む。以下、この他店券過振りの操作を連続的に繰返す。いわゆるマラソン金融の方法で最初の当座貸越金(過振り金)の清算を引延していった。かくして、スチール工業の当座勘定は昭和三一年三月頃まで貸越(過振り)の状態を続けていた。

(5) しかし、右の当座貸越も同年二月二七日頃から始まった大蔵省の銀行臨店検査の際検査官によって発見されるところとなり、検査官から当座預金業務の乱脈を指摘されると共に右の当座貸越は証書貸付によって早く決済するように警告され、第一相互銀行はスチール工業に対し証書貸付を起し、貸付金をスチール工業の当座口に振替入金して右貸越を決算した。

本項表題に掲げた訴因番号該当の各貸付のうち、訴因番号108、110、112、117のものは右当座貸越決済のために起された貸付であり、また訴因番号90ないし97のものはその疑いのある貸付である。右当座貸越決済の状況を右各訴因ごとに説明すれば、次の表のとおりである。

≪中略≫

(二) 以上のように、訴因番号90ないし97、108、110、112、117の貸付は、昭和三〇年頃から累積されたスチール工業当座口の貸越金決済のためになされたもの、あるいはその疑いの濃厚なものである。そうだとすれば、貸付金の交付即ち当座口への振替入金は、そのまま自動的に当座貸越の決済となり、証書貸付の貸付金は即ち当座貸越の返済金であり、貸出行為が一面では回収行為となっているのである。そして、この間の処理は総て書類の上でのみ行なわれているのであるから、貸付金の交付といってもそれは観念的なものであり、しかも右貸付金は自動的に当座貸越の返済金となり、当座預金として残るものではないから、実質的には貸付金の交付がないのと同じであり、銀行資金には何らの変動も生じていないのである。

従って、右貸付行為によって、第一相互銀行に対し貸付金相当額の損害を加えたとの公訴事実はこれを否定しなければならない。

(三) 本件行為を実質的にみた場合、スチール工業に対する当座貸越を証書貸付に切替えた行為に過ぎないのであるが、それでは右切替自体によって第一相互銀行に対し何らかの財産上の損害を加えたといえるであろうか。

検察官は、銀行は当座一時貸越金の返還請求権はこれを直ちに行使できるのに対し、証書貸付金には返済期限の定めがありそれまで返還請求権を行使できない。また当座一時貸越金に対する利率は証書貸付金に対する利率より一般に高いから、この点で当座一時貸越を証書貸付に切替えることにより銀行に対し財産上の損害を加えたという趣旨の主張をする。しかし、当座一時貸越は臨時的且つ無約定の貸越であるから、一率的な利率が定められているわけではなく、本件貸越に適用される利率がいくらであるか証拠上不明である。また、弁済期限を定めて借主側に期限の利益を与えたからといって、銀行はその反対給付として利息を得ることになるのであるから、それのみによっては直ちに財産上の損害が生じたとはいえない。背任罪における財産上の損害の有無を検討するうえにおいては、右のような抽象論を離れ、当該具体的請求権の財産的価値を比較検討すべきものと考える。

先に述べたように、本件当座貸越の生じた原因には、従前の証書貸付の書替や導入預金に対する裏利息の支払等が含まれていて一率に論ずることはできないが、このことを度外視しても、本件当座貸越によって銀行の得た過振り小切手支払金の返還請求権と、証書貸付によって銀行の得た貸金返還請求権とでは、切替当時における財産的価値に差異を認めることができない。

従って、右切替自体によって財産上の損害を加えたということもまたこれを否定しなければならない。

(四) 結局、本項表題に掲げた訴因番号の貸付行為は、それによって第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたものと認められないので、その余の検討をまつまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

七、訴因番号53、107、109、111、113ないし116、118、119、122、125、127、128、140、142、148ないし151、154、156、157、159ないし167、169ないし179、181、183、185、186、188、190ないし200、202ないし208、210ないし212の各貸付行為について、

(一) 第一相互銀行が右訴因に記載のような証書貸付を起し、訴因番号107及び113の貸付を除いてはその貸付金をスチール工業の当座口に振替入金し、訴因番号107及び113の貸付においては被告人直江に第一相互銀行振出自己宛小切手と現金を交付したことは、前記四において述べたとおりであるが、当裁判所は、右の行為はスチール工業の利益を図る目的ないし第一相互銀行に損害を加える目的のもとに行なわれたものではないと考える。その理由は次のとおりである。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 第一相互銀行は、大口貸付の焦付と約二億五、〇〇〇万円にわたる政府指定預金の引上げによって、昭和二八年頃から既に資金不足に見舞われ、被告人堀口貫道、同渡部をはじめ同銀行関係者は資金の獲得に苦慮していたが、ここに預金の獲得を計ろうとする同銀行と、同銀行から融資を受けようとする概ね信用力の乏しい中小企業者との間において、融資を受けようとする者が同銀行に預金を斡旋すれば、同銀行はその者に対して当該預金の六ないし八割を貸付けるという取引が始まることになった。そして、自ら資金獲得のできない借入希望者は、預金者を募って銀行に預金を導入するいわゆる導入屋に対し、預金者に対する預金謝礼金ないし裏利息と導入屋に対する手数料等(以下、これを単に裏利息と称する)を支払って、同銀行に預金を導入することを依頼し、導入屋は、同銀行が右の者に対し融資することを条件に、通常無記名の三ヶ月定期預金または通知預金として預金を導入し、同銀行は、指定された融資先に対して右預金の六ないし八割を貸付けていた。しかし、右のように導入屋に頼まなければ借入できない借主は、もともとその業績が悪いうえに、借入金に対する正規の利息の外に、高いときには三ヶ月一割二、三分もの預金全額に対する裏利息を負担しなければならないため、期限までに借入金を返済できない者が多く出て来た。スチール工業もかようにして第一相互銀行から資金を借入れ、しかもそれを焦付かせた最大の借主であり、スチール工業のため終始右借入の衝に当っていたのが被告人直江であった。一方、導入預金の方は、融資先を指定して預けられるが、期限が来れば、当初の条件であった貸付が回収されなくてもこれとは無関係に引上げられるために、第一相互銀行には焦付の貸付だけが残ることになり漸次その資金繰が苦しくなりその対策に苦慮することとなった。

そこで、第一相互銀行は新たな導入預金を受入れて資金の不足を補うの止むなきに至ったが、このような導入預金の受入と見合融資を繰返すうちに、預金の大半を導入預金によって占められることになった。しかし、右導入預金の見合となった貸付金は依然回収されず、期限の到来した導入預金はどんどん引上げられるため、その払戻や、あるいは書替継続によって払戻を引延ばすための裏利息支払資金を調達するために、第一相互銀行自体が積極的に導入預金を求めざるを得ない立場に追詰められ、同銀行の店頭は導入屋で混乱することになった。

(2) そこで、被告人堀口貫道、同渡部は昭和三〇年三月頃、それまでスチール工業が第一相互銀行から融資を受けるために同銀行に導入預金を入れていた被告人直江に対し、以後スチール工業に対する融資を見合とするしないを問わず、同銀行のため導入預金一般を受入れる窓口となって、同銀行の資金繰に協力してくれるように要請した。そして、同被告人らは同銀行本店近くの同銀行所有家屋に導入預金受入のための事務所を設け、被告人直江が右事務所において同銀行からその日銀行の必要とする資金量の連絡を受け、導入屋から預金を集めてこれを同銀行に入れることになった。ところで、導入預金を受入れたり期限の来た導入預金を書替継続さすためには裏利息を支払わなければならないが、銀行としては裏利息の支出を正規の経費に計上できないため、銀行が今後もスチール工業に対する融資を続けることを条件に、右裏利息はスチール工業が負担することになり、スチール工業関係の名義を使って貸付を起し、貸付金をスチール工業の当座口に振替入金してこれを裏利息の支払資金に当てることになった。かくして、被告人直江が同銀行預金課に導入預金を入れると、預金課は右導入預金に支払わるべき裏利息の額を貸付課に連絡し、貸付課はスチール工業関係の名義を使い裏利息相当額の貸付を起して貸付金をスチール工業の当座預金に振替え、被告人直江は右当座預金を引出して裏利息を支払っていた。被告人前田は、昭和三一年四月五日頃まで同銀行貸付課長として右貸付の事務を担当していた。そして、右のように被告人直江が導入預金受入の窓口となり、しかも右導入預金に対する裏利息支払金をスチール工業に対する貸付とする対価として、昭和三〇年中には同銀行はスチール工業に対し右導入預金の一部を貸出していたが、昭和三一年に入ると右の新規貸出はほとんどなくなった。

(3) 本項冒頭に掲記した訴因番号の貸付のうち53、107、198を除いたものはいずれも右裏利息支払のために起された貸付であり、53、107、198はその疑いのある貸付である。そして、右にも述べたように、昭和三一年にはスチール工業に対する運転資金の新規の貸出はほとんどなされていないのであるが、右訴因番号の貸付金によって裏利息の支払われた導入預金の一部がスチール工業に貸出されたか否かは明らかでなく、その大部分は第一相互銀行自体の資金繰に使われたものであり、少くとも受入時においては右導入預金は総て同銀行自体の資金繰に使用する目的で受入れられたものと認められる。

右訴因番号の貸付と導入預金受入の関係は、左に掲げる「裏利息支払のための貸付状況表」のとおりである。なお、107、113の貸付金は前記四において説明したとおり第一相互銀行振出の自己宛小切手と現金で被告人直江に交付されており、また113の貸付は昭和三一年二月二七日から同年四月一〇日までの大蔵省の銀行検査中に支払われた裏利の一部に該当するものである。

裏利息支払のための貸付状況表≪省略≫

(二) 以上のように、本項冒頭に掲記した訴因番号の貸付は、被告人らが第一相互銀行に受入れた導入預金に対する裏利息支払資金を捻出するために起したもの、あるいはその疑いの濃厚なものであり、被告人らは右貸付金で裏利息を支払っていた。この裏利息支払資金捻出のための貸付行為と、裏利息支払行為とは一体をなすものと考えられるが、本件公訴事実は右貸付行為がスチール工業の利益を図る目的のもとになされたものであり、背任罪を構成するものであるというのである。

しかし、被告人らの右貸付行為は、外形上はスチール工業に対する貸付という形をとっているものの、その実体はスチール工業に対する融資(授信)行為ではない。被告人らは、第一相互銀行に受入れた導入預金に対する裏利息を支払うため、同銀行の資金を自分達の自由に処分し得る状態に置いたに過ぎない。そして、貸付はそのための手続の偽装手段である。従って、スチール工業に対する貸付という形をとっているからといって、直ちにそれがスチール工業の利益を図る目的のものとはいえず、行為の目的はあくまでその実体に即して判断すべきである。そして、実体に即して考えた場合、被告人らの本件行為をスチール工業の利益を図り、あるいはまた第一相互銀行に損害を加える目的のもとに出た行為といえるであろうか。

まず、スチール工業との関係であるが、第一に本件行為の実体はスチール工業に対する融資(授信)行為ではない。そして、本件行為の実体は導入預金に対する裏利息支払資金の捻出行為であるが、右の導入預金はスチール工業に対する見合融資を目的として受入れたものではなく、第一相互銀行自体が必要としたものであるから、そのための裏利息支払資金の捻出もスチール工業のためとはいえない。従って、本件行為がスチール工業の利益を図る目的のもとに出たものとは認められない。なお、被告人渡部の検察官に対する昭和三一年一一月一六日付供述調書には、右のような導入預金の受入を始めるに当たり、被告人らの間において右導入預金に対する裏利息はスチール工業が負担するという話合がなされていた旨の供述記載があるが(被告人らは当公判廷では後に清算するつもりであったと述べている)、仮にスチール工業が負担するからといって、それがスチール工業に対する融資行為であり、スチール工業の利益を図るためのものということはもとよりできない。また、被告人直江が導入預金の受入に協力する対価として、第一相互銀行は右導入預金の一部をスチール工業に貸出すという了解が当初においてなされ、昭和三〇年中には右預金の一部がスチール工業に貸出されていたようであるが、昭和三一年二月一七日から始まる本件訴因番号の貸付金によって裏利息を支払われた導入預金の一部がスチール工業に貸出されたか否かは明らかでなく、少くとも導入預金を受入れる時にはそれを銀行自体の資金繰に当てるために受入れたものと認められる以上、右導入預金に対する裏利息支払のための本件貸付もスチール工業の利益を図る目的のものとはいえない。ただわずかに、右の導入預金によって第一相互銀行が一時の窮状を脱し、営業が正常化して資金が豊富になれば、スチール工業に対しても融資を続けられる関係が認められ、その関係でスチール工業の利益を図る目的が全くなかったとは言切れないが、それはあくまで附随的なものであり、スチール工業の利益を主たる目的としたものとは考えられないしまた、スチール工業以外の第三者の利益を図る目的のものとも認められない。

それでは、第一相互銀行に損害を加える目的で行なわれたものであろうか。確かに、導入預金を受入れたことといい、それに対する裏利息支払資金を捻出するため同銀行の資金をスチール工業に対する貸付金として自分達の自由に処分し得る状態に置いたことといい、いずれも不健全で手段を誤ったものといわざるを得ない。また、かように導入預金を受入れざるを得ない状態に同銀行を追込んだことに対しても、被告人らにそれぞれの責任がないとはいえない。しかし、被告人らの本件行為はあくまで第一相互銀行の急場をしのがんためやむなくとった手段であり、同銀行に損害を加える目的のもとに行なったものとは認められない。

(三) 結局、本項表題に掲げた訴因番号の各貸付行為は、いずれもそれがスチール工業の利益を図る目的または第一相互銀行に損害を加える目的のもとに行なわれたものと認められないので、その余の検討を待つまでもなく、背任罪の構成要件を充足する行為とは認められない。

八、訴因番号180、182、184、187、189、201、209の各貸付行為について、

(一) 第一相互銀行がスチール工業に対し右訴因に記載のような証書貸付を起し、その貸付金をスチール工業の当座口に振替入金したことは、前記四において述べたとおりであり、右貸付と当座口振替入金の状況は左に掲げる「貸付及び当座口振替入金状況表」のとおりである。

貸付及び当座口振替入金状況表≪省略≫

(二) しかしながら、当裁判所は右の行為は第一相互銀行の利益を図る目的のもとに行なわれたものであり、スチール工業の利益を主たる目的としたものではないと考える。その理由は次のとおりである。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

スチール工業は、第一相互銀行から借受けた資金のうち、昭和三一年春頃までに約二億円の金で群馬県前橋市所在の富士機械株式会社(以下、富士機械と略称する)に転貸して焦付かせていた。その頃、富士機械の常務取締役椹木美明は、同市所在の株式会社大生相互銀行の元専務であった大口勝通から、大生相互銀行の株式を買占めて同銀行の前社長である宅間某を社長に復帰させてくれれば、富士機械がスチール工業から借りている負債は大生相互銀行が返済してやるという話を持掛けられた。そして、椹木美明はこのことを被告人直江に相談した。そこで、被告人直江は、当時第一相互銀行の資金繰に追われ正常な資金で導入預金による悪循環を断切ろうとしていた被告人堀口貫道、同渡部にこの話を持込んだ。かくして、被告人堀口貫道、同渡部、同直江は、右大口勝通等宅間前社長派から、右宅間を社長に復帰させれば、同年七、八月頃までには大生相互銀行から富士機械、スチール工業を通じ第一相互銀行に二億円の資金を入れる旨の確約を取付けたうえ、右復帰に必要な大生相互銀行の株式を買占めることを取決めた。そして、第一相互銀行からスチール工業に右株式買占資金を貸付け、スチール工業に株式買占資金を貸付け、スチール工業は更にこれを富士機械に貸付けて右株式を買占めさせたうえ、買取った株式は担保として第一相互銀行に預ける。また、大生相互銀行からは富士機械に二億円を借受けさせてこれをスチール工業に返させたうえ、スチール工業には右二億円を第一相互銀行に対する借受金の返済として同銀行に入れさせることにした。

そして、被告人堀口、同渡部、同直江は第一相互銀行の資金を前記訴因のとおりスチール工業に貸付け、スチール工業はこの金を更に富士機械に貸し、富士機械はこれで大生相互銀行の株式約四八万株を買付けたうえ、右株式を第一相互銀行に担保として提供した。第一相互銀行はこの株券を同銀行役員室に保管していた。しかし、同年六月一八日頃になって第一相互銀行の経営が破綻を来したため、被告人らの右計画は途中で挫折する結果になった。

(三) 右のように、被告人らは第一相互銀行の資金をスチール工業に貸付け、その貸付金で富士機械を通じ大生相互銀行の株式を買付けたうえ、これを第一相互銀行に担保として取得させた。しかし、形式上このような手続をとっているものの、実質的には第一相互銀行が大生相互銀行の株式を買ったと同様の効果をもたらしているのである。そしてスチール工業に対する前記訴因の貸付は、大生相互銀行の株式を買うための一手段である。従って、大生相互銀行の株式の買付という全体の行為から、右貸付だけを切離してその目的を云々すべきではない。

そして、大生相互銀行の株式を買った目的は、大生相互銀行をして富士機械に二億円を融資させたうえ、第一相互銀行にスチール工業に対する貸付金の回収として二億円の資金を取得させるにあり、第一相互銀行の利益を図る目的であったと考えられるので、スチール工業に対する前記訴因の貸付行為も第一相互銀行の利益を図る目的のものと考える。

もっとも、前記宅間某はこれによって大生相互銀行の社長に復帰できることになるが、これは第一相互銀行が二億円の資金を取得するという目的のための単なる手段に過ぎない。

ただ、スチール工業もこれによって富士機械に対する貸付金を回収することができるので、スチール工業の利益を図る目的が全くなかったとは言切れない。しかし、スチール工業は当時既に死せる会社であり、生死の瀬戸際に置かれて資金を必要としていたのは第一相互銀行自体であり、被告人らはスチール工業に富士機械に対する貸付金を回収させるということよりも、むしろスチール工業が回収した金を第一相互銀行のスチール工業に対する貸付金の回収として第一相互銀行に取得させ、同銀行を救わんとしたのであるから、主たる目的はあくまで第一相互銀行の利益を図るにあり、スチール工業の利益を図る目的があったとしてもそれは附随的、第二次的目的に過ぎない。

(四) 以上のように、本項冒頭に掲げた訴因番号の貸付行為は大生相互銀行の株式を買取らせるためのものであり、且つこれを第一相互銀行に事実上取得させたのであるから、第一相互銀行に財産上の損害を加えたか否かも問題であるが、その目的は第一相互銀行の利益を図ることにあったと認められるので、その余の検討を待つまでもなく、これまた背任罪の構成要件を充足しないものと認められる。

九、結局、被告人堀口貫道、同渡部、同前田、同直江に対する前記一記載のスチール工業株式会社関係の公訴事実は、総て犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法第三三六条により同被告人らに対し無罪の言渡をする。

第四、三光商事株式会社関係(昭和三一年特(わ)第五九八号、昭和三一年一二月二五日付起訴状)

一、右起訴状記載の公訴事実は、

被告人渡部虎雄は、前記第一相互銀行の常務取締役として、預金・貸付等銀行業務一切を統轄していたものであるが、その在職中、自己において資金の必要に迫られた結果、常務取締役として右銀行の業務を誠実に遂行すべき任務があるにも拘らず自己の利益を図る目的をもってその任務に背き、同銀行の取締役の承認を受ける等適式な手続を経由せず、且つ将来の返済はほとんど期待できないのに何等担保を差入れることなく、ほしいままに昭和二九年八月三〇日頃前記第一相互銀行本店において、三光商事株式会社の名義を藉り、自己に対し同銀行資金三四七万九、〇〇〇円を貸付け、もって同銀行に同額の財産上の損害を与えたものである。

というものである。

二、しかしながら、当裁判所は、以下に述べるような理由により、右公訴事実は被告人渡部が第一相互銀行に対し財産上の損害を加えたとの点につき証明を欠くものと認定する。

即ち、被告人渡部が当時第一相互銀行の常務取締役として、預金・貸付等銀行業務一切を統轄していたものであることは、前判示有罪部分の冒頭で述べたとおりであり、また、

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

第一相互銀行の前身である相互無尽株式会社は、いわゆる無尽業務を行なっていたが、当時資金の不足から無尽給付以外の一般貸付をなすことができなかったため、無尽関係者を対象とした金融を業務とする子会社を創立することになり、昭和四年三月二三日相互無尽株式会社の役員、社員及び無尽会員等が株主となって「第一相互株式会社」を設立した。しかし、昭和七、八年頃になると、相互無尽株式会社の方も一般貸付をすることができるようになり、「第一相互株式会社」の方は昭和一二年頃から休業状態となった。

被告人渡部は、昭和二年頃相互無尽株式会社に入社し、同会社の業務に従事していたが、昭和一四年頃同会社々長堀口貫道から、「第一相互株式会社」の運営を委され、同年六月二六日同会社の取締役に就任した。そして、「第一相互株式会社」はその頃から前記無尽会員以外の一般人をも対象として金融を始め、昭和一六年頃にはそれまで相互無尽株式会社と同じ場所にあった本店を新宿区上宮比町に移した。また被告人渡部は昭和二〇年二月二一日「第一相互株式会社」の代表取締役に就任し、その頃戦災で焼けた右本店を同被告人の自宅に移した。そして、戦争による一時中断の後、昭和二二年頃から再び金融を始めたが、被告人渡部は昭和二三年一一月三〇日相互無尽株式会社に復帰した。しかし、一方で「第一相互株式会社」の金融の方も中田与右ヱ門を使って継続していた。

そして、昭和二六年の相互銀行法施行により、同年一〇月一六日相互無尽株式会社は名称を変更して株式会社第一相互銀行となり、これに伴って「第一相互株式会社」も名称を変更して東京信用株式会社となったが、東京信用株式会社は「第一相互株式会社」時代の債権債務を引継がずに新らしく事業を始めることになったため「第一相互株式会社」時代の債権・債務は被告人渡部が引受けてこれを整理することになった。しかし、その債権即ち貸付金の回収ははかどらず、債務即ち借入金の返済に追われるようになり、借入金の元利息支払のため新たな借入れをもすることになった。

ところで、前記中田与右ヱ門は昭和二七年七月頃被告人渡部の後楯で三光商事株式会社を設立し、同年一一月四日頃第一相互銀行に三光商事株式会社の当座を開設したが、同会社としてはこれといった事業を行なうことなく、同会社の小切手帳及び代表者印は被告人渡部の許に保管されていた。

そこで、被告人渡部は前記「第一相互株式会社」時代の借入金及びこれを返済するための新たな借入金に対する元利支払のため、右三光商事株式会社名義で小切手を振出すことになったが、貸付金の回収がはかどらないため三光商事株式会社名義の当座勘定は昭和二八年九月頃から預金不足となった。しかし、被告人渡部は第一相互銀行預金係長竹内清に命じて三光商事株式会社名義で同被告人の振出した小切手を当座貸越によって落させていたため、三光商事株式会社名義の当座勘定はしばしば貸越となったが、昭和二九年一月頃からは継続的に貸越となり、同年七月一五日までに三四七万九、六〇二円の貸越となった。

しかし、同銀行は何人とも当座貸越契約を締結しておらず、三光商事株式会社もその例外ではなかったので、右は当座預金残高を超えて振出されたいわゆる過振り小切手支払のためのものであり、一時貸越または臨時貸越といわれるものであった。そこで、被告人渡部は右のような一時貸越が焦付状態になっているのを大蔵省の銀行検査等によって外部に露顕するのをおそれ、右当座貸越を決済するため、同年八月三〇日同銀行貸付課長前田彦に命じて、借受名義三光商事株式会社、金額三四七万九、〇〇〇円、返済期限同年一〇月二八日、利率日歩二銭八厘なる証書貸付を起させ、右貸付金を右三光商事株式会社の当座口に振替入金させると共に、右預金係長竹内清に対し現金六〇二円を交付し、右貸付からの振替入金三四七万九、〇〇〇円と右現金六〇二円の合計金三四七万九、六〇二円で三光商事株式会社に対する右当座貸越を決済させた。

三、本件起訴の対象となったのは、昭和二九年八月三〇日に行なわれた右三四七万九、〇〇〇円の証書貸付行為であるが、公訴事実にいう如く、これによって第一相互銀行に対し同額の財産上の損害を加えたといえるか否かについて検討するに、前記第三のスチール関係無罪理由六の(二)と同様、右貸付による三四七万九、〇〇〇円の交付即ち当座口への振替入金は、自動的に当座貸越の返済金となり、当座預金として残るものではないから、実質的には貸付金がないのと同じであり、同銀行に対し同額の財産上の損害を加えたとはいえない。

四、本件行為もこれを実質的にみた場合、三光商事株式会社名義三四七万九、〇〇〇円の当座貸越を同名義同額の証書貸付に切替えたに過ぎないのであるが、前記第三スチール関係無罪理由六の(三)と同様、右当座貸越と証書貸付に財産的価値の差異を認めることができず、右切替自体によって財産上の損害を加えたということもまたこれを否定すべきである。

本件で損害が発生しているのは、当座貸越そのものを行なったときであるが、これについては前記第一の大晶関係無罪部分三の(五)で述べたとおりここでは触れない。

五、結局、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条により被告人渡部に対し無罪の言渡をすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江碕太郎 裁判官 片岡聡 裁判官 泉徳治)

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